すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

Genius have to gatta crazy for

世の中には天才と呼ばれる人がいる、さてどうゆう意味で呼ぶのか。
自分にはとうてい考え付かない、他人がマネのできない芸当をする人。
それを総称して天才と呼ぶのか。それならそんなことばは使わないでくれ。
 
世の中には天才と呼ばれるような、まるで聖人のような人はいないとおもっている。天才はこの日常生活から生まれてきている。
誰も考え付かないようなすごい発明とか、それは努力だよ。
 
天才になる方法があるかもしれない。でも絶対やりたくないね。
他人よりも3倍つらい、悲しい思いをしなくちゃいけない、
それよりもずっと孤独が付きまとう。寝る前なんかずっとだ。
 
ここで天才アーティストと呼ばれた宇多田ヒカルの名前をだす。
何故よく自分が宇多田ヒカルの名前を出すのかといえば。
わかりやすいからだ。何故なら、宇多田ヒカルは、本名宇多田光ではないからだ。ポップアイコンとしての宇多田ヒカルは、皆で作り上げる。
その本人でさえ幻想として付き合う羽目になる。
ポップアイコンは皆に消費さえ、いいようにそのそれぞれの生活に利用される。たとえば美容院で話すことがないとき、それを使うし、学校の帰り道なにも話すことがないとき、あーあれ見た?みたいに利用される。
しかも消耗していく。好き勝手やってくれ。怒っても仕方ないよな。はぁ
 
話は少し違う展開をする。ゲームで「天地創造」とゆうクエストからでているゲームがある。それは地球の生命誕生から人間が生まれて、現在の文明まで育てるとゆうゲーム(この会社そんなんばっか作っているな、なんかあったのかな人生で。。。ほっとけよなそんなの)
 
その中で天才を育てる章がある。
すこしくだりを説明すると、世の中をうまく回すには天才と呼ばれる人がでてこなきゃいけない。そしてここから僕の解釈だけども天才は、その天才にしかできないことをひたすらやってればいい。
それで世界がうまくまた、回りだす。
だって考えてくれ!!今こうやってネットがあるのも、エジソンが電球を発明しなかったら絶対なかったんだから。
 
そう、天才はひたすらなにかに夢中にならなきゃいけない。
 
2001年。思い出すなぁ
天才と呼ばれた、いやほぼ神格化してたリチャード・D・ジェームス、エイフェックスツインが5年ぶりに出したアルバムに対する、雑誌ロッキングオンのレビューだ。
もはやここまで時代のスピードが速くなると、天才でも熱中できない。
ごめん今手元にその雑誌がないし、あまり覚えてないからニュアンスで書いているけど。
 
実はわかっているんだなって思った。天才とゆう名前を使って
信じようとしていた。天才の名前に希望を託していた。
実はみんな天才なんかほんとはいないんじゃなかってわかっている。
でもそれだと寂しいから、すこしでも幻想を抱かないと、
あの世紀末の世界はとうていやっていけなかった。
 
世紀末の日本、僕はあのとき寂しくなかった。
何故なら今から未来があるから。それにひたすら向かって走ればいい
それだけだった。
 
この発言は、かなり貴重だと思ってください。超大物アーティストでも口にしないようなことです。
 
21世紀になって、天才アーティストとゆうか、どうやってこんな作品を作れるのだ?こいつは何者なんだ?と思えるアーティストが全部調子が悪くなっていった。その理由は自分が承知している。無論宇多田ヒカルも、ドラゴンアッシュのKJも。あとジャミロクアイのJKもね笑
 
KJも日本のなんかポップアイコンを背負うはめになってかわいそうだなって思った。でもそうゆう人たちにとってかわいそうだとかゆわれるのが一番つらんいだよ、ちくしょう
 
そうゆう天才アーティストのライヴに足を運んで実際見てみたことが何回かある。たとえばケミカルブラザーズなら、俺はわかる、かなり今の彼らはどうしようもできないな~どうなってるんだ俺達は、助けてくれ~、皆どうしちたんだあとゆう感じ。(エドさん代わりにゆうてあげたよ)
 
音楽家にとって、音楽が作れなくなるのは一番辛いことかもしれない。
一番ではない2番くらい。
何故なら、作品は、ドラックをキメたあと、セックスをしたあと、
夜寝る前、仕事を頑張った日、それらを超越した場所にあるからだ。
 
だから150年前の音楽は、今の時代にも感動を与えてくれるのだ。
 
長くなりましたが、2005年の今だからこそかける、ぼやきです。