すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

郊外化する都市部!?どうする

なおこの記事は社会学者宮台真司のブログ

からのそのまんま抜粋が結構あります。

日本国中どこの街へ行っても同じような光景を目にする。駅前にはワタミ的な飲み屋とコンビニ、牛丼屋、ファーストフード店、カラオケ、パチンコ屋。どこへいってもまったくおんなじである。郊外へいけば、国道を通れば、まったくおんなじである。安価な焼肉屋、ファミレス、西松屋のようなニュータウンに新しく住む若い夫婦向けのようなアニメティとコンビニエンス。金太郎飴のようである。

でもそれらがあると「快適(アニメティ)」であり「便利(コンビニエンス)」であって、いつでもどこでも快適さを求められる安心がある。それらがないと逆に不安になるくらいだ。

最近自分の家の近くに郊外型複合アニメティ施設が完成した。ユニクロがあって、ファミレスがあって、コスコトがぜんぶいっしょくたになって顕在している施設。問題なのは、住んでいる家は大阪市内であって郊外ではない。もともと広大な駐車場であった京セラドームの西側に建てられた。それと同じような時期の2~3年間でタワー型の超高層マンションが2軒立ち、工場跡地がどっかどかとレジデンスマンションになり、うさぎの小屋のようなニュータウン型一軒家ブロックが無数にできた。ぜんぶ談合で昔っから計画してたんじゃないだろうかと思うほど、西松屋とJAPANもある。ニュータウン計画が全部最悪だったから、今度は都心部ニュータウン化をしたらいいじゃないかという安直な考えも連想できる。利権談合共産国ばんざいなノリだ。

今、大阪のどこへいっても若い夫婦がベビーカーを転がせて街を練り歩いている。とりわけ母親はヒッピー的な森的な恰好だ。それがいいと信じ込まされている現状だ。全ては計画通り。ハンバーガーや牛丼を食って「幸せだね」っていってろというような計画通り。実際若い夫婦の顔は困惑しているし、子供は泣き散らかし、手元に銃があれば自らこめかみをぶちぬいて自殺しそうな感じだ。

こんな環境の中、この泣き叫んでいる子供は何に対して泣き叫んでいるのか。

自分のこれからの不遇の運命、まさにその運命に対して泣いている。

こうした地域の空洞化や郊外化は1950年ごろから徐々にはじまっていた。まず団地化から歪がはじまります。1956年に日本住宅公団が千葉に最初の団地を売り出す。最初のスーパーマーケットは53年に青山に出店した「紀ノ国屋」だが、団地には必ずスーパーが併設された。アメリカのニュータウンの手法を真似て計画されたものだけども、実際に日本に適応した場合、団地に住む住民同士の交流もなく、専業主婦にかかる比重は倍増した。

元来日本の専業主婦は少なく、アメリカの幸福イメージそのままをもってきたため、郊外に住む専業主婦の幸福イメージはロマンだったんでしょう。団地化は(1)地域の空洞化,(2)家族への内閉化という二側面を有した。核家族にかかる負担は非常に大きくなり、その分その地域自体の交流もなくなり、どうすることもできなくなる。

こうした住民が頼れてしまうものが「メディア」です。

「団地妻」なんかはメディアが作ったようなものですよね。

第二段階の郊外化を象徴するのが、85年のセブンイレブンのCM「ケイコさんのいなり寿司」篇。夜中にケイコさんが「いなりずし、いなりずし」とメモりはじめ,家を出てコンビニにかけ込み,いなり寿司を買って「開いてて良かった」と有名な台詞を喋るもの。

夜中にいなり寿司が食べたいのも変だが、そもそも夜中にいなり寿司を買いにいくなど、以前なら隣近所や家族の目があって無理だった。ところがそうした振る舞いが、80年代半ばには自然になっていた。それこそ第二段階の郊外化=コンビニ化&情報化の帰結なのだ。

日本で最初のコンビニは69年に開店した大阪豊中市の「マイショップ」。セブンイレブン1号店が74年で、ローソン1号店が75年だ。とはいえ、当時は全く話題にならなかった。大半が11時に閉店する小さな店で、「深夜スーパー」「ミニスーパー」などと呼ばれた。オンタイム搬入で在庫コストを減らすために導入されたが、全店POS化以降、電力料金支払い、公共料金支払い、宅配便、チケット販売などのサービスを扱いはじめ、地域の情報ターミナル化した。こうしたコンビニ爆発と連動するかのような変化が各領域に生じた。 83年には東京23区内でワンルームマンションブームが起き、建築確認申請数は82年の四倍以上になる。84年には郊外や地方に波及し、「ゴミ出しのルールを守らない」「自転車を乱雑に放置する」「夜中に変な連中がウロつく」などと各地で建設反対運動が起きた。 コンビニで売られる各種雑誌も生まれた。83年はレディスコミック創刊ラッシュ。84年、『ポップティーン』に代表される少女向け告白投稿誌が国会質問で問題化。同じ年、男子向けのセックス写真投稿誌『熱烈投稿』『投稿写真』が創刊。数年後に30誌以上に増えた。 85年にはNTTが民営化、電話は買切り制になり、コードレスホンで茶の間ではなく個室から電話できるようになった。同じ年、新風営法対策として最初のテレクラが歌舞伎町にオープン。翌86年夏には都内で120軒に激増し、夏以降テレクラは郊外や地方に拡がる。 86年11月,NTTは伝言ダイヤルを開始。翌87年には早くも伝言ダイヤルのテレクラ的利用法がマスコミに話題になった。この動きは89年のNTTダイヤルQ2サービスの開始につながり、伝言ダイヤルにつぐ2ショットダイヤルの大ブームが訪れることになった。 ワンルームマンションの単身者(シングル)、あるいは家族と住みつつ個室化した疑似単身者(ニューシングル)が、なぜか夜中にいなり寿司が欲しくてコンビニに行く。すると、なぜかレディコミ・告白投稿誌・写真投稿誌が置いてあり、ついでに買って帰宅する<。

いなり寿司をパクつきながらページをめくれば、なぜかテレクラの広告が満載。なぜか手元にコードレスホンがあり、家族の目を気にせずにテレクラに電話する──。実は「ケイコさんのいなり寿司」が象徴するのは、そんな振る舞いを可能にする一連の変化だった。 84年は郊外型ロードサイド・ディスカウンター??ロジャーズやダイクマなど??の幕開けの年。いわゆるNIES諸国のカラーテレビが5万以下で買えるようになり、各個室にテレビが置かれはじめた。 その結果、茶の間にいる家族全員での視聴を当てにした歌番組とクイズ番組が87年頃には消え、深夜番組が増えた。かくして家族各自が別々のチャンネルを通じて別々の世界に繋がる状況が出来した。「みかけはマトモで中身はバラバラの友達家族」が成立したのだ<

「専業主婦のいる核家族」の形はマトモに見えて、「子供の社会化機能」も「成人のパーソナリティ安定化機能」も果たせなくなった姿が、そこにある。そこには『岸辺のアルバム』のような「形だけの家族に苛立つ子供たち」さえも、いなかった。 グランジのニルバーナのような状態。

子供たちの魂は、家族・地域・学校ではない「第四空間」へと既に流出していたからです。

第4空間とは、学校でもない家でもない、近所でもない、誰も知る人のいない空間。

アニメや、テレビゲーム、ネットの世界や、クラブ、または近所のコンビニの駐車場などなど・・

この虚しい感情の居場所をロックやテクノ、エヴァンゲリオンやチャットに

求めていったのでーす。

感情的安全を──魂の居場所を──求める子供たちは「第四空間」へと流出した。即ち、第一段階の郊外化=団地化が(1)地域の空洞化と(2)家族への内閉化を招いたのだとすると、第二段階の郊外化=コンビニ化&情報化は(1)核家族の空洞化と(2)第四空間化を招いた。

仮想現実に集うオタク。テレクラや出会い系に集うAC。ストリートに集うチーマーやコギャル

全部ねっこは同じです。

なぜ「子供の社会化」と「成人のパーソナリティ安定化」の二機能は市場化や行政化が不適切で、「核家族に限らない私領域」(「変形家族」と呼ぶ)が担うべきだと考えられるのか、と問うた。答えはもはや自明だ。二機能が感情的安全を必要とするからだ。

果たして、ファミレスでハンバーグをよそよそと食っている家族の子供は居心地がいいのだろうか?

いいわけがない。

だから泣いている。

魂の居場所は、企業マーケティングの数字には入らない。

いたるものの商品は、企業が作るものだ。

そこに魂を求め、愛を求めていてもしょうがない。

レジデンス型マンションや、高層マンションに最近住み始めた若い夫婦などは、快適さと便利さ、そしてメディアの出す記号消費(たとえば、森ガールみたいな恰好で、チャリんこのってたらかっこいいよね!とかをマネしたいじゃん?ヴィレッジバンガードいったりさー)

に徹してしまう。しかしそこに何の幸せがまっている。

金を払って店員が「ありがとうございました」と言ってもらえるのが幸せではないことは最近は自明的になっていると思う。

メディアが提唱した「幸せのイメージ」は忘れて、本当に人として生まれたことの幸せをGETしないといけない。

それは隣の人と顔を合わせたときに気軽にあいさつできたり、誰か知っている人とすれちがったりするときに、一人ではないという孤独、を幸せに感じていくことなのです。