すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

00年代から10年代へむけて20年代を考えない。

 ある信念というか個人的な宗教で2000年以降に作られた人類が作った全部の創作物は

 あんまり聞いたり見たりしたいとは思えない。なんかしんどいし。2000年代以降の作品には

 つねにある問いがこもっていると思う。「生きることはなんなのか」つまり

 何もすべてが意味がないということが明確になってしまい露呈したため

 真空にちかい虚無しか、2000年以降のいろんな作品には感じられない。

 

 だから2000年になった時は死のうと思ったし、この後は余生だなーと思ってました。

 1999年最後に作った曲と、2000年にはじめてつくろうと決意した曲とでは

 明らかに何かが違うのです。

 この「クオリア」を研究すれば脳機能において、「死」を立体化できるはずです。

 はっきりと覚えていますが、1999年12月30日くらいまでは

 ハウスミュージックの未来もおぼろげながら空想できていました

 オープンハイハットがもっと変わる予定でした。

 たぶん、今あなたがこれを読んでいて、「やばいな」と思ったら間違いなくあなたはいま

 相当世界的に希有で奇異な文章を読んでいると思っていても間違いないでしょう。

 そして特別意味のない文章でしょう。

 ポスト実存主義は空観と仮観の間、幻の機能性に重点を置いた中観です。

 

 すべてのものが意味がなく、この大文字の私でさえ幻である、今こう思った瞬間の自分でさえ

 幻である。

 それがわかった上で、人々の感情に注目を置いた瞬間に、幸せみたいなものが

 見えました。機能性です。

 虚無の代表格的BOSSであるエレクトロニカかからエレクトロハウスとかが

 生まれてきたのは感慨深いですが。