世界の終わりとハードボイルド21世紀
2000年の秋は、思ったよりカラっとしていた。
相変わらず電車を待つ駅のホームで若者達はすわりこんで待っている。
エントロピー的波及効果を狙ったら、これは大阪や東京まで
いったと思える。
ボクは芦屋キャンパスにギターを担いで向かっていた。
林先生の下で、ギターのミュート演奏なり、ドラムの基礎練習なりを教わった。
しかしこの通信制高校は2つの側面をもっており
芦屋キャンパスにいたっては、スーパーエリート学校(ミッションではない)
なのだ。
当然それまで、ガングロギャル、ギャル、不登校、いじめられっこ、ヤンキー
の渦中に無理やり身を投じていた自分にとって
さらにアイディンティファイを迫られ、あんまりそこの学校の子達とは
会話もしなかった。
とりあえず、ドラムのバチを買って、16ビートを毎日叩く日々。
淡路島の家に帰ると、なんかもうくたくただった。
TBS系列の「ガチンコ」とか、テレビ東京系列の「ASAYAN」
とか見るんだけど、なんか「これが最後か」という感じがいつもあった。
冷蔵庫を開けると、チェダーチーズと、トマトケチャップがあった。
ボクは、食パンをパンナイフで切って、トースターで焼いた。
レタスを水でしゃきっとさせて、そこに照り焼きチキンを乗せて
サンドウィッチにして食べた。
レタスのみずみずしさ、とチェダーチーズの苦さがともていい感じ。
もうすでに9月の26日は過ぎていたので
レディオヘッドの新しいアルバムは買おうと思えば買えたのだった。
10月はいってから地元のTSUTAYAの視聴機で
とうとう「KIDA]を聞いた。
ヘッドフォンのRから流れてくる死んだ人間の声。
とうとうきたか・・・・・いつかはくると思ったけど。
と思った。
この時のとうとうきたかは、ロッキンオンでも書いてた
「レディオヘッドじゃなかったらよかったんだけどなあ。うまいざぶとん一枚!」
とか
購入はしなかったけど、とうとう「あれ」がやってきたことは確かめた。
ちなみにKID Aというアルバムはすごく豪華で
生ストリングスや生ホーンセクションなど
めちゃめちゃ豪華なんですよ。