リーマンショック後の問題~不安~
資本主義を導入する国家では、資本は流動化します。これは資本になるものは全て可変するということです。もっとわかりやすくいうと、街の商店街にある服屋、それもおじいちゃん的なくらいの人がやっている昔からそこで20年くらい服屋を営んでいたら、急にユニクロなどの海外資本をも含む大量量販店が近くにできたとします。そうすると、もう店にはあまり人がこなくなってしまいます。人間の性質は、性善説か性悪説かでいうと、「安いからつい安いほうをかっちゃう」ので性悪説かもしれないね、なので、どんどん安い量販店へと消費者は流れていってしまいます。勿論、その店でずっと服を買っていて、いろいろ理由はあってその店で服を買うほうがメリットのあるお客さんもいますよね。そうすると、その太いお客さんは、「あの店もうやばいんじゃないか、つぶれるのではないか、というか服屋のおじさんではなくなり、警備員のおじさんになってしまうのではなだろうか」と
つぶさと思ってしまいます。店の主人も、「このままではわしはもうだめじゃ、げほげほ、もっと渋谷109のようなギャルをバイトにやとって、若い女の子の客を呼び込まなければならぬのじゃ、ツイッターもはじめないと、いけないのじゃ」
これが不安です。
不安は実は一大マーケティングとしてビジネスになっています。
不安をあおる商売、不安を解消する商売、不安を和らげる商品
目に見えない恐怖、Scary です。これこそ悪魔そのもの、
人間の脳が勝手に作った、虚構そのもの。
悪魔がやってきて、人間は一人で対処できません。悪魔はそこにいる人間が共同で、幻想しています。
そうなると、公の不安解消ツールは、緊急自動車です。
救急車、消防車、パトカー、
金がかからず、すぐかけつけてくれるのです。
しかしこの緊急自動車はわれわれの血税(うけがいいからこの言い方をしているのだ)
でまかなわれているのです。
民主党の「無縁社会」という言葉は、一人歩きもしなかったですが
この人間のさみしさを解消できるものは・・・・・ADSLと携帯電話だったのでしょう。