ストレートネックで首ガッチガチやぞ!(くやしーです!(仮)

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.03くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

2000年

2000年

小節レフトビハインドの内容は、

2000年になって天国へいっていない、僕達、私たちで戦争しなければいけない

ということは、今生きている意味などない!

そういうことになる。

しかし、この西側諸国の基準から別の基準で考えると

この意味はなくなる。

英語で意味というニホンゴを調べると

機能性という可能性もあります。

人は何かしら他人の行動に大して意味性を気にします。

駅のホームでなにか怪しげな行動をしている人

駅のホームで酒を手に持ち叫び殺す人。

人々は、往々にここに意味を見出したいのです。

もし意味がない場合、その行動は、行動していない、その背景になりかねない

つまり、その人物でさえ、存在しない可能性もでてきます。

うわ~あのひと今ひとりごといってるよ~

たのむよ~ひとりごとじゃないよね~

あ、なんだ、ハンズフリーで話しているのか。

とゆう経験はありますよね。

では、なぜこの場合、ひとりごとをいってる、場合

不安なのですか。

ひとりごとには、意味や、機能性はない

という暗黙の了解を日々無意識に感じているのです。

たぶん、ハイデカーや、

ニーチェ実存主義ニヒリズムで、サルトルとはちがう

ポストモダン思想は、サルトルなどの

ニーチェは、キリスト教のウソを暴き出した

この世界に、意味をつくりだし、この世界がさも意味があるかのように

思わせた、

しかしニーチェは言う、意味は無い

究極にニヒリズム