仕事といい言語構造から分析する近代過渡期
ワレワレは奴隷なのでしょうか。
過去の歴史に、農民の奴隷、農奴や、黒人の奴隷などの経験があり
その歴史の中で積み重ねなれた経験から、
近代社会みたいなのが生まれたのですね。
明治になるまで日本にはなかった概念が沢山、翻訳されたそうです。
「宗教」もそうです。宗教ってゆう概念がなかった日本らしいです。
そのときの英語などをにほんごにした人々に
福沢諭吉などの、西洋近代化のために、日本を近代化する感じの
草案がいっぱいあったのでしょうけど
このときのニホンゴが、どうなんだ!!という感じです。
さて、仕事というニホンゴ。
会社にお勤めにいき、給料をもらう。
ほぼ間違いないのでは
つまり、おおまかなイメージでは会社法人と雇用契約を結び、サラリーをもらう。
これが仕事であり、
サラリーが発生しないのは、「仕事」ではない。
そうでしょうかねえ。
はたして、実際のマネーが動かなくても、仕事未然でも、仕事になっていることは
無意識に色々あるはずです。
仕事は、奴隷契約や、労働力を売る、といったことに限定されないでしょ!今でしょ!
あくまでも紙幣の価値は紙幣でしかありません。