ウィトゲンシュタインとソシュールと大阪
どうぉわ!!
ウィトゲンシュタインの入門書!読み終えたぜ!メルロ=ポンティは読みきれず返してしまったが。実存主義と構造主義をつなぐ点で重要かなと思ったのだったが、もういいかなぁと思うのも確か。とりあえず20世紀の偉大な哲学者である、ウィトゲンシュタインはなんとなく理解できた。はず。
ウィトゲンシュタインも激しい。激しく生きている。天才とも呼ばれた彼の生き様は、その哲学にすべてをかけていた。いや哲学をしないと生きていけないのだ。魂の所作が彼をそうさせるのであって、決してアカデミズムにスノビッシュなヘーゲル右派のように論壇で偉そうにしているわけではない。そこが逆に、真剣に哲学を、悩み苦しんでいる其のさまは、人を勇気づけさせる。
驚いたのは、イメージに関することもウィトゲンシュタインは若干、記述していて、もしかすると現代哲学に受け継がれている体系があるのかもしれない。
計算言語学、計算記号学、まだまだ先を探ればいっぱいあるが、この分野はいまはいらない?!
ウィトゲンシュタインから、社会学、デュルケイムなどにいくつもりだだだ=
ミシェル・フーコー、そしてヘーゲルを読み終えてからではあるが。
しかしウィトゲンシュタインも激しいが、ソシュールも激しかった。
言語学の研究に人生をかけた、彼は絶望?ともいえるのか、悲観的になったり
あまりにも孤独な作業、自分しかその作業を遂行できる人間はいないという孤独だ。
彼は、一般に有名になる著書を、本人ではなくその後の後継者がまとめあげるという。
一般言語学講義は、学生に向けて何回かの講義だったそうだ。
しかもその講義が終わったあと、彼は草稿をやぶりすていたそうだ。
そして死語、なんかすごかったらしいぞ!みたいなので
その講義に出席してた学生のノートからまとめたのが著作となって「一般言語学講義」として
世界中のあらゆる分野に影響していく。
なんだがここまで書いていて、ロックみたいだな、と思った。
非常に激しく生きている、魂の所作。
それは他人なんかどうでもいいから、とにかくそれをやる。
それが後々になぜか評価されているというだけなのかもしれない。
なぜかマイブラッティバレンタインのケヴィンシールズという孤高の才能とかぶるのであった。