すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

もし映画のように両親が家畜のブタになったら

ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の冒頭で千尋の両親が豚になるシーンがある。
車で森へ侵入。この車で家族がどかかへいき連休を楽しむという時点で
僕にはもう滑稽で爆笑ものなのだが
さらに、パパとママは、ありったけの食料を発見し、千尋、おまえも気持ちがいいから
食べなさい、と千尋に云う。まるで人間の理性を失ったかのように狂ってめしを喰らう。価値や規範の崩壊(アノミー)だ。そうなった場合人間なんてものは
途端、狂ったような、なにかに取り付かれたかのようにくるっちまって
そして豚になるのだ。
それがこの社会に生まれた運命、行き着く果て、墓場だ
それを受け止めろ、死を恐れる前に、墓場へ行け。

そんなメッセージが監督がこの映画にこもっているとかどうかはわからないが
それくらいの意味はあってもおかしくはない。
そう、俺たちは家畜の豚なんだ。しかも抗生物質漬けのな!

みなさんもご存知の通り、スーパーに並んでいる肉製品は死んだ豚や牛なのである。
それを知っているし、わかっている。
だが、しかし罪悪感を感じないように生きている。
それは、牛や豚は、抗生物質漬けになっていくら殺してもOKだということだ。

いっぽう欧米の銀行家、ロスチャイルド家や、ハブルス家、ロックフェラー家
などといった、支配層は、だいたいがプロテスタントや、その聖書を
宗教にしている。
つまり、宗教的には、宗派がちがえば、家畜のように殺してもOKなのだ。


それでは、いまスーパーに並んでいる肉と、それを見ている人間、
同じ家畜である。

この理論に異論はないだろう。

いずれ同じ人間であるものでも、抗生物質漬けの豚のように
殺され、スーパーに陳列される日を戦々恐々とおびえて暮らすのが
幸せだろうか。
いや
それすらも忘れ、享楽的に時間を過ごし、塔を建て、
いかなる脅威をも封じ込め、岩に言葉を書き記し
洞窟のなかで骨となりはてるのだ。

映画では千尋は、千となり、実存を掴んだのだ。
そして豚になった両親のもとへ帰り、千尋に戻った。

21世紀という彼岸には、真実の魂と光、悟性が必要だったのだ・・・・・。