統合失調症の幻聴に関する考察02(03までつづく)
統合失調症とは結合できないエピソードを人生のストリームに埋め込むことで精神の整合性を保とうとするものです。
精神の話になると、なぜ意識はあるのか、他人に意識はなぜあるのかといった哲学の命題にたどり着きます。
その中でも幻聴とゆう表象について考えてみます。
幻聴というのは、脳がなにかを認識しているということです!
ここで必要になってくるのは
認識とはなにか存在とはないか道具とはなにか
が非常に重要になってくると考えられます。
ではまず認識とは何かです。
認識についてはドイツ観念論やイギリス経験論などの人類史上長い間哲学的な問題でもありました。
デカルトは、この世界はすべて無いかもしれない、けど今こうして考えている自分だけは真実なのではないかな。とか
カントは何かを認識するときに、経験からその認識ができるけど、その経験がなければ認識できないことが世界中にあるし
その世界は、もともとこの世界に先天的に存在していたのかもな、と考えました。
シニフィアンと呼びました。
つまり認識とは脳のなかである表象を分節に分けて名前を付けて判断しているともいえます。