実存とはなにか~草稿~

実存とはなにか。
キルコゲールやニーチェ実存主義だ。
という後からの後付だった。
しかし今現在、この私はの存在は或るのか、という現実存在、実存主義というのはなんなんだ一体と思う。
今この私が認識する私は、過去の経験による認識パターンによる認識に由来することが多く、
どこまで現実の今の存在をどう或るのかという帰属的な意識へと戻れるのか。
というか、現在の存在は確かに、存在しているのだが、その次の瞬間
家族や、友達、隣の部屋の人間の行動、などを配慮した段階で「経験」からの「認識」するという過程に入ると思う。

キルコゲールはマスメディアやキリストから脱却して、今でいうところの自分探しをしてたんじゃないかなって思う。

すべてはそのキリスト教ニヒリズムからの脱却。神の王国や2000年問題からの脱却が目的だ。
意味や役割、機能や目的が社会を構築した、しかしその目的や意味が達成されたあとの、この抜け殻になった役割や機能は
もはや機能不全で、機能しないのだろーか。
パーソンズは、行為には目的や意味があって、なんたらかんたらと書いていました。

日本は近代化して、無理やり西側諸国の選挙システムや文化などに慣れ親しみ、ほぼ西側諸国の価値観へと変容してしまったがため
西側諸国のものさしで、物事を認識したり判断していたりする。

例えば、行為Aの認識であるが
行為Aを「スマホを見る」としよう。

行為Aの存在を認識するには、まず人間が何かをもって、しかも画面の中の情報をチェックしているという、認識までしないと、正しく行為Aの目的や意味が理解できない。
そんなことはあるだろうか・・・・。
では、20年くらいテレビも新聞もほとんど見ないようなおじいちゃんがここにいたとする(実際の日本にはいそうだけど・・・・)おじいちゃんはその行為Aをみて理解ができない。
知らないから。
すると行為Aをやっている人間は、何を目的にして生きていて、何をやりたいのかがまったくわからない認識になってしまう。
もしかすると、全地球の人類は、影の政府によって、なにか特殊な操作をされて行為Aをしているんではないかという統合失調症になってしまったりするかもしれない。
(実際にあると思う)
この人間たちの目的がなんなのか、意味がわからない。
すると、行為Aをやることで果たす社会的な役割を認識できないため
行為Aの人間としての役割がまったくわからなくなる。

すると完全に西側諸国の価値観から遺脱し、無秩序状態になる。
そして、神の声を聴いたおじいちゃんは、翌朝、ライフル銃をもって商店街につっこんでいくのである。