すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

ニルギリス全員脱退に寄せて デモ001

ニルギリスはキリギリスだ。そんな乱暴な切り口から初めてみたい。嘘です。ニルギリスがメンバー全員脱退するというニュースを受けて、今回改めてニルギリスというバンドについて考えて見ようと思いたちました。僕自身にとってニルギリスはとても特別なバンドでした。思えばニルギリスと出会ってからはや10年以上経ち思えば逆に長い期間バンドが存続していたものだとも思えます。初めてニルギリスという彼女ら彼らの名前をメディアで見たのは休刊になった音楽雑誌「SNOOZER」の1コーナーでした。雑誌の最後らへんにあるディスクレビューの覧だったのをすっごく覚えています。何故なら、そうパンドラの箱は開いてしまったのだ。嘘です。2002年の末くらいの号だったと思うのですが、たしか関西限定のCDで「ZERO」だった気がします。レビュアーの人は、なんか3文字くらいの名前の人で、そのレビューがすごく印象に残ったんですね。「~~~なんたらかんた~ら、ニルギリスは~~~希望だ」みたいな感じで書いてあってものすごく衝撃を受けました。ものすごくはっきりと「~~は希望だ。」と書かれている様。何故かと言いますと、この2002年あたりのスヌざーの感じというのが、妙にデカダンスで退廃的で、なんか絶望しかないみたいな空気感があったような気がするんですね、レディオヘッド後のポストロック、21世紀の厭世観911テロ後、そんなネガティブなバイブスに一つだけポジティブな部分が浮いて星のように輝いている感じでした。どのページをめくっても「絶望だ」「死ぬしかない」「みんな泥人形だ」みたいなんですが、このニルギリスのとこだけがはっきりとポジティブに「希望」って書いてある気がしました(笑)まあ半分厭世的な気分だった当時の自分自身の投影も多分にあるでしょう。
 これがニルギリスを初めて知った時です。へえそうか、そんなおもろいバンドが関西にいるのかーへえー。で、2002年くらい当時は当然、時代はインターネットの時代でしたので、公式サイトへいってみたら、こじゃれた感じの、デザインされた感じで、そんときにはすでにチュクリのマスコット「二モ」がサイトの全面のカラーになっていて、当然時代はブロードバンドの時代でしたので曲の視聴もできたのです。聞いたのは多分「サンダー」だったと思います。若干キッチュなしかし歪んだ生ドラムとテクノポップみたいな感じの、そんな感じでした。とゆうかこの曲の構成やアイディアがすごくそのとき自分が作って目指してたような曲に似ていて、同じこと考えてるんだと親近感がわくというよりも、同じ目線であるものを見ている人たちだな、というある意味時代の同時進行性みたいなのを感じていました。
 次にニルギリスを見たのは、勿論スヌーザーです(笑)2003年4月号くらいだったと思います、今も持っていて大事にしています。あのロシアのレズEDMユニット「t.A.T.u」が表紙のやつですね。今度はちゃんと特集ページで取材されていて写真もページまるまるどーんって載っていて、ニルギリスの5人がなんばハッチのところでたたずんでいる写真なんですが、アッチュになる前の岩田さんがめちゃ印象に残るようななんとも言えないような表情なんですね。なんと言うか、悲しいのかな、切ないのかな、なんか、正直当時感じたイメージは「みんな時間がたってしまうね、悲しいね」みたいな感じが、その表情から受け取ってしまったんですね。病気ですかね。

インタビューを読んでいても、なんか岩田さんの何気ない発言から、基本的に悲しいのか切ないのかよくわかんない泥のような日常なんだけど生きてるし、でもなんか前を向いて、何かを見ている。それが希望ともなんとも言えないものでも、しかし前に進むしかないよね。的な基本的には冴えない感じがネガティブなんだけど最終的にはポジティブな帰結があるような感じが、すごいこの人と話したいなと思ってしまったわけです。なんというかたわいもない日常なんだけど、それが自然としてそこにある感じが、嘘くさくないなと思いましたし、もっと正直に言えば、仏教的な感じ、もっと言えば、この人たちはレディオヘッドの「KID A」後、つまり確実にあれを経過した上での発言やただづまいなんだなと思うと、希望でしかないなと思うのもしょうがなかったんです。ケロッとした感じにただ勇気づけられました。
 
インタビュアーのひとが、いい質問をしていて、

音楽面ではその当時はちゃんと音源を聞いていないまま2003年9月8日くらいの十三ファンダンゴでライブしたときに聞いたくらいが一番ちゃんと聞いた感じで、とりあえず公式サイトのメンバープロフィールに好きなアーティストという項目があったのですね、今もありますけど。僕はそこに激しく感動したんです。岩田さんはUnderworldが好きで、とりあえず周りにUnderworldが好きなやつなんか島にはいなかったわけですよ。いや、ネットにもいなかった気がするんですよそんなに。1999年にアンダーワールド日本公式サイトみたいなんはありましたけど、掲示板もありましたけど、実際にリアルにアンダーワールドが好きな女の子がいるなんて!!!感動してしまったんですね。他にも他メンバーにRadioheadPrimal Screamもあって、もうこりゃこの人たち絶対気が合うに間違いないと勝手に妄想してましたね。

今この頃の楽曲を聞くと、「Sakura」あたりからニルギリスを知ったあくまで第2期的なニルギリスしか知らない方にはちょっと戸惑うと思われます。「サンダー」や「ソプラノ」でみられるような、ダークなそして歪んだ世界観というのは、実はこれが当時の空気感そのままで、ほんとに彼らもポストロックやIDMエレクトロニカ以降のシリアスでアカデミックでペンシズムな音楽シーンを経過して、そこからのニルギリスなりの回答を楽曲ではやっていたのだった。ソプラノの冒頭で重厚なパッドシンセが鳴っている、どこかアンビエントエレクトロニカさをただよさせているし、サンダーでは、現代音楽的な奇妙なピアノが当時のトータス、Bords Of Canadaなどの八方ふさがりな世界観そのままだった。真夜中のシュナイダー以降はメジャーリリースとなって少し毛色が違ってくるのですが、それまでは一環したアートワークなりなにか美学を感じ取れたのです、それこそUnderworldが徹底したタフネスなデザインのように。

初期メンバーであるキーボード佐竹モヨとギター伊藤孝氣の二人がニルギリスの音楽に影響していた比重は大きかったと思う。特には初期の楽曲の随所で聞かれるテレキャスターのクランチトーンのアルペジオなどは、ニルギリスの代名詞ととってもいいほど楽曲のキャラクターを位置づけている。グランジやぶるっとポップ、US,UKオルタナティブロックを経由してきた伊藤孝氣の奏でるアルペジオなどには叙情的な要素が感じられる。それこそ一瞬で崩れ去るような悲しさがギターから感じ取れた。勿論楽曲の骨格を作っていた佐竹モヨの作曲もかなり寄与する。一遍、不思議な歌詞であったり、散文詩的な内容であっても、自ずと何か伝わってくる情景があった。1998年以降から現在のメンバーである3人が加わってきます。その3人の音楽性はどちらかと言えばクラブ寄りのフロア向け要素があったりもして、つまり初期のニルギリスにはビートルズのメンバーの軋轢から生まれていた楽曲の緊張感や奇跡のような発明品がかいま見れた気がする。
 











 しかしそれでもサンダーやソプラノ、オドレミやVUNAからは、厭世観から立ち上がっていくような、くるくる回るメロディが聞こえたのです。


2部

3部

終わりに