もはや個人など存在しない

すべてシステムの生成物である以上、この私もシステムの生成物にすぎない。
この私という存在は、過去にも現在にも未来にも存在しない。
もはや個人など存在しない。すべてがシステムの生成物。

とすると、今こうやって書いていることも、システムによるもの?

そうだ。個人の自由など存在しない。
システムの中で自由な選択など存在しないように。

ではシステムの中で自由を獲得するには>>
不可能である。
なぜなら自由というシステムによる生成物は、嘘だからだ。


9000千年前にいまいるとしよう。
そこには、原始的な空間が存在している。
>>>もはや存在しているかどうかなんかなんてどうでもいいのでは>
そうだ。存在するかしないかどうでもいい
今この場所で現象を認識しているかもしれない、その恐怖こそが大事だ。
>>>その恐怖のなかでシステムの生成物を選択するには?
システムが生成する選択肢には、死ぬような規範外の選択は与えられない。
>>>つまり死こそがシステムの生成物ではないということでしょうか
それは違う。死に重点を置けば今生きていることができなくなる
>>>死を選択するときは、生きているのではないでしょうか
その段階では生きている
>>>>死
神はいない
>>>>>システムの生成物が存在するかしないかも嘘なのでは?
この世界は存在していない
>>>では今この文章を書いているのは誰?
それは神ですらわからない
>>>>あなたはこの世界に存在しないのであれば宇宙はどうなるの?
宇宙は存在するもしないも、関係がなく、どうすることもできない

これがシステムの生成物が作り出した結果なのでしょうか>>>
すべてがそうであるように、今のここにあるものがそうだ。
言語で認識できないものはシステムが生成できないのでは?>>
言語で認識できるものだけがシステムの生成物だとは限らない
では、ここにテーブルが存在したとして、テーブルのなかに、tahimという言語での認識をするとシステムの一部になりますか?
テーブルの中に、言語で区切った文節を作り出しそこに機能性がなくとも認識してしまえば存在する。システムの一部になる。
>>>ではもう言語なんかやめてしまいましょう!!
天国へ行こう