良いのは何で良いのか

風営法改正には間違いなく「何がgoodで何がdevil」なのかという倫理観の規定が明確にならないとあまり良くは進まないと思っています。それこそこの問題は、大塚英字さんがずっとおっしゃているように「日本はずっと近代をやり損ねてきた」というのがありますね。近代をやり損ねるというのは?という問題意識すら当事者の我が国家はあんまりないと思います。しかしながら、法律は近代の一つです。近代のひとつである法律にはそれまでのドイツ観念論やイギリス経験論、ポッブス、モンテスキュー、ルソーの社会契約論などがあってこそその結果として現代の法納国家があると思います。


さて、やってまいりましたメタ形而上学のコーナーです。
あたまおかしくなるまでやるからな。
おまえの頭を。


良い、というのはなんで良いのか。
それはなんでだろうな。
先生が良いって言ってたからだ
みたいな。
それは、スコラ哲学時代のルネッサンス以前、協会の神父が
罰を与えるために、子供に「強姦は聖書的には罪だ、おまえを殺す」
と感じですか。

修道院でのせいかつは禁欲的で、ストイック。
勤勉に、毎日を清潔に過ごす。イエスへの祈りさえあれば大丈夫。

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もうこんなことを考えたくない毎日を。楽しく過ごすために考えているのだが・・・・。