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ラカン理論の考察

ラカンのわからん、部分がかなり予備知識が必要だということだ。
主体や客体、命題、とかいう言語が登場するし
はじめて読む人には文字によるアートにしか見えない本
プラスチックでできたりんごを食べているような感覚だろう。

いまこの文で、何回か人間の感情を示した。何回だろうか、
まずラカンが難しいのでどうしようもないこの地球という現実の悲しみの感情
そしてそれは神の試練ではなく予備知識がいるから安心しようという安堵の感情
主体や~の部分は証明言語なので自由変数だ
そしてプラスチックのりんごを食べると、虚しいという虚無感

こんなにも人間の感情に工面しないと言語活動できないなんて絶望だ!!!!!!
(対象が人間である必要はない)


↓まだ人間だったころの文




ラカン理論では

精神病というのは 象徴界の父がいないことだが
これを数式にすると

象徴界の父 = gf

象徴界というのは、対象言語で計算が可能だ。
たとえば、命題

精神病は病気だ

という文があったばあい、どれかの視点を変数にする

精神病はxだ。

これにより精神病からの言語活動が可能になった。
現時点でのgfと精神病の関わりは未定だ。
ちなみに代入してみよう

精神病はgfだ。

つまり精神病は病気ではなく、象徴界の父である。
ということで、地球上に存在しないことになる。
ここに否定関数である(KはFでない)というfを入れてみる。

精神病は(f)gfだ。
これを計算すると

計算は無理だ。

計算は無理だ(f)。

私は今一回ここで気絶をした。

象徴界の父がいない場合、何故精神病になるのか、、、、
それはわからない。