デカルト的考察:結局ここ001

朝起きて夢から覚めたあなたは、世界と再び対峙しました。

あー眠たいな、眠いな、

あなたのBIOSが様々なハードウェアをチェックし、今日会社に出社するかどうかの采配ですら高度な判断をしなくてはいけません。

すると、とりあえず今日の感じ、天気晴れてるかな、ツイッターみようかな、ニュースなんかあるかな

というハイデカーにおける「道具」における「配慮」という状態に陥ります。

量子論の話になっちゃいますが、量子論では、見たら存在が発生します。

なんで、ハイデカーの「道具連関」の配慮において世界が創造されます。

しかし、このデカルト的考察ですら、なんらかの他者みたいな「対角線論法における何か」に影響されているんではないかと考えます。

自己言及において、~∃間違いなく不完全であるかぎり

配慮することで、∃間違いだらけの世界が~∃∀認識されます。

そこにおいて、かなり感情面に支配されています。

天気に関して配慮するのはどうしてか。

嫌だからです。

天気がいいと

善いからです。

感情によって、道具連関の配慮をしがちです。