人工知能と効用

経済学における効用とは、主体となる観測者の満足度だとする。
紙幣などの金銭は数値化できても、本人の効用だけはいくらなんでも数値化できないブラックボックスに近いものがある。
それはかつてジャック・ラカンメビウスの輪に例えた精神のように、小人が何人も必要だ。(鏡の数だけ)
まあ冗談は良いとして!
本人の意識上にある、まあいわばクオリアのような、表象???は
ほとんど本人にしかわからないし、いくら経済学的に、スタバでチャイラテを買ってドヤ顔でMacBook Air開いて飲んでいて、間違いなくこいつはサブカル充していて間違いなく効用はあると思っていても、その本人は、緊張しすぎてチャイラテを飲むことさえできず、MacBook Airで他の人のツイートが自分の心象風景のように思える状態だったら、ゆうこうな需要とはいいがたい。
ハイエクかは、ケインズマクロ経済学での公共事業の中身が問題だと言っている。

ともかく、
数値化し標本化した、その過去の効用は、フーコーのように適正化された基準により
データベース化され、マーケティングになってしまう。

本当に、心から満足できるのであれば、別にスタバでもなんでもいい。

そこには人工知能では絶対に演算できない関数があるはずだ。
それが本能や感情などの普遍文法。

たとえば、食べるという行為には、関数がいくつあるかな!!

まず、食べる、という行為にある満足度のしきい値を与える、
その閾値まで、人工知能は食べるという行為を意味を持ち、価値を与える。
そして、しきい値を超えると、人工知能は、満足だ!という出力を出す。
Y=M 
みたいな。