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強迫神経症に関する考察18

精神病関連

精神と言えど、物理的にこれが精神です!!と指をさせるものではない、きわめて悪魔や神といった概念のようなもので、正直、フーコーが指摘ようにニンゲンというものを歴史的に発見し、捏造し、ニンゲンというのはこういうものだ!という規定を社会契約の時に
(つまり貴族による共和制統治(フランス共和制しかり)作り上げた。
人間諸科学では、ニンゲンという自然を、他の太陽や海洋などの自然科学と同じように、科学的に分析した科学である。
もちろん、現代科学の良識では、不完全性定理により初等の言語(つまり算数)で無矛盾性を否定できない証明ができなく(この一行が不完全性)不確実性原理で確実に観測できないし、そもそも観測者の主体が、ある一定のバイアスを持って常に観測したものの結果が認識となっている以上・・・・。

と、まあ精神とは何かを定義するには2つの定理により証明ができない可能性が極めて高いということはおわかりだろうか。
でも、科学である以上、歩いていどまではわかっているわけで、
たとえば、太陽はなぜ燃えているのか、とか月はなぜ存在しているのか、とか犬はなぜわんわんと吠えるのか、とか、そういうの。
は、わかっているのだ。

ということで、認知科学的な領域に完全に突入せざる終えないのだ。
わかってくれ、たのむ!

前回までのおさらいで、人間は過去の記憶の中で整合性をある程度つけている。
その整合性の中で、自分に~が可能、~が不可能、という本能で悟っている。

簡単な話で、
原始人だとしよう、きみは
昨日、島の木を全部木ってしまって、島には一本も木は無い、
ということは次の朝、木を切ることは不可能だ、とわかっている。

しかし、島全部の木を切ったと思っていても、
実は、隣のむらの長が、そういう嘘の吹聴をしていて、残りの木は長が
屋内で栽培している文明技術をもっていたとしよう。

そうすると、木を栽培し、恒久的に 木を切ることが可能だ
と認識する。

精神は、木なのだ。