ハムスターにおける生権力と経済学

ミシェル・フーコーが唱えた「生権力バイオパワー」は、ベンサム全展望監視システムにおける発生する権力パワーのことを言う。

経済においてあまりこの生権力が関係するという主題は無いと思われるが、非常に大事だと思っている!!

この権力下における経済は非常に窮屈であろう。監獄に収監された囚人の行動を考えればわかるだろう、いつ全ての企てを見られているかわからない。いつ死ぬかわからないのだ。

安心して本心など話せるわけがない。

ほとんど精神障害者そのものだ!!!!!

人類は生まれながらに精神障害者なのだ。


例えば、経済における機能に着目してみよう。

人々はある目的のために行為を行う。

カフェにあなたが居る、そしてストイックに勉強したい日がよくあるだろう。その場合、何が一番「良い」とされるかと言えば、効率よく勉強でき、そして一日の帰結を味わえることがプロテスタンティズムの精神そのもの。

これがパレート最適点だとして「良い」とする。そして効用は200円か320円たかだがのコーヒー一杯くらいの金額で計り知れない効果が見込めるのだ!!!!!!!!!!!

この場合の目的は、満足できるくらいの勉強量の獲得である。行為は勉強だ。

しかし生権力が発生すると、精神障害者のように、いちいち全ての人類や表象が邪魔するサタンかのように思ってしまう心理的バイアスがある。何故か。本当に・悪魔かもしれない?


同じ感じで、ダンスフロアで、ダンスをするという行為もひじょーーーーーーーーーーーに不思議である。あたまがおかしいふりをするか、モリッシーみたいにキマッてるふりしたショタになるしかないのだ。しかしながら人々は、満足できるダンスなり、日々、近代化するこによる孤立を祝祭によって回復したい欲望がふつふつと日々つのり、そこに集い、音楽という言語とダンスという言語で、コミュニケーションsることにより、効用となる。すごくむつかしい結実なのだ。すべて言語だと考えると、まず音楽は言語、そしてそこでなおかつ、その音楽の言語の翻訳をダンスなどによってトランスレイトし、アダム・スミスのいう「共感」のようなものをコギト同士がホメオタシス同調することにより、効用は生まれる。

しかし生権力があれば、まるでみんなが大学の文化祭程度の範囲でしか、遊べない。

え?そんなことしちゃっていいの?みたいなのが皆無。くそう、やっぱキメるしかないのか・・・とかドグマを背負うのも致し方ない。そんな程度でしかイメージ抽象固定選択しかできないのだ。


そして一番は低所得者層や社会的弱者の生権力が目下の課題である。2014年に消費増税を行い、だいたい1割くらいの税金が発生するようになった。

これはでかいガソリンかぶって死にたくなる。

しょうがない、低所得者層は全員がダイーシュにはいってもいいか、もしくわ全員が未然に逮捕されてほんとうの監獄へ行くか、死ぬか、生きるか、戦争するか、しか無い。

戦争を本当に止めたいなら、低所得者層の生権力をなんとしても無くすしかない。

このときばかりは、マルクスエンゲルスの20世紀の資本論をイイたくなる。21世紀の資本論ではピケティは、教育による付加価値を高めることを主張する。

低所得者層の生権力を無くす方法で即効性があるのはダイーシュへ参加することだ。これは一番いい。本当の自由がまっている。銃で相手を撃ち殺し、物資を現地で調達すれば、いちいち日本で金銭を払って商品を買うなんてことは摩耶香しでしかないと思えるだろう。

そしてもっと簡単なのは、ガソリンを被って新幹線で焼身自殺だ。死こそ、この世の価値すべてを無力化する。最高だ。

現状ではこんなところだ。現実だ。

2014年に消費税を上げなければもっと話は楽に進めてたはずだった・・・・・。


     人類滅亡・・・・。