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意識の範囲:道具

人が生活する為の道具。人類史において最初の「道具」となったのは石で作られたものだったらしーが何故それが必要になったのかは、意識が拡張したからだと考えてみよう。

まずそれまでは狩りなどは熊がシャケをパシャッとやるように素手でやっていたとしよう。しかしこれではうまく狩りができないので、餓死するものが続出している状況は変わらなかった。なんとかしてこの状況を変えたいと思った人間は、その感情により意識を拡大し、経験から認識を拡大し、身体から意識を拡張した。それが自然界から抽出した石器という「道具」だ。

それから2万年後の現在に至るまで、人々の感情は身体から突出し、様々な道具を生み出した。長期間、食物を保存する冷蔵庫、火を使わずとも太陽が落ちた夜でも明かりを使うことができる照明器具、いつでも川で身体を洗ったりすることができる、風呂や洗面台など・・・・。すべての道具は人間の感情的な意識からはみ出した結果でしかない。人間以外がそれを道具として使えば?意味は無くなる。犬からすれば。

くまでもいい。猫でもいいのさ。


同じように、道具を介して、人間の感情の共感は可能だ。何故なら、「道具は意識」だからだ。道具は量子レベルでなんとかフォボビッチ数列的に個体として成り立っているだけであり、実際にはこの世界に無い。奇跡的に今個体として成り立っているだけであり、コンクリートのマンションですらそうだ。

例えば、ミレニアム以降の都市計画に、やたらイルミネーション開発が行われたが、あれも意識ではないだろうか。

2015年現在でも、各場所でいたるところで年中クリスマスツリーのような電飾が飾られている。何故?

何か宇宙人との交流を図ろうとする意図がそこにあるとでも思う?

確かにミレニアムという坩堝に居た場合、あのイルミネーションは文明の最高峰としての意識を代弁するであろう。我々人類の文明は栄え、絶頂を迎えている。祝祭するには沢山の言語が必要だ。だからイルミネーションにしよう。未来が不安にならないように明かりを常に照らしておけば、不安も夕方に魔王がやってきても大丈夫だぜ。


という意識だ。その道具と共感できる。

そしてパソコンやスマホの1990年台からの圧倒的な発展は何故だろう。意識が拡張したのか!?