音楽言語倫理学

2015/12/25 06:11 削除
編集
音楽言語倫理学

文章。それを読む。それはその文章を書いた人間の「魂(ゼーレ)の感情」から成る、調べ。、、、まず対象がある。私たちは対象に対して、何かを感じる理性を持っている。文章は、その一文字、一文字、を読む、たびに、其の都度毎回、まるで対象から何かを感じとり、理性から判断している。
たとえば、命題「
ごめん、命題は思いつかなかった。
命題っていいたかっただけ。
と、こんな感じで、文章から、その人が書いた時の、感情を、文章を読むことにより、体験することができる。それは疑似体験であり、映画を見ているようなもので、いつまにか、ヒロインの役の気持ちになりきっているかのようだ。例えば、仁侠映画を見た後の人は、風を切るように歩くとか、ね
で、で、で、でだ。大事なのは、
その感情は、じつは構成、構造的には、ある程度の、条件等が組み合わさって統語的になると、意味になるのではないかと考えるのである!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
つまり、だ、夏、暑い、汗をかく、太陽がいっぱい、青空、
というコギト(観測者である主体)が感じる感情を、文章は、表象しなくてもその系のシステムからは凡そ形成可能である範囲内であれば、統語的に、ああそうだろうなあ、と予測できるのである。(意味わからない?
つまり夏は、暑いと、文章ではっきりとは名言しなくて書かなくても、同じ臨場空間Sensevityをホメオタシス、同調していれば、えーとそのね、あのーなんだろうね、「くそおおおガリガリ君食いたくなる空だ」と書いてたとして、間違いなく、それは夏だろ!ってなるわけだ、それははっきりとは文章で暑いって書いてはいないけど、暑いな!!!って思うわけじゃない?
同時並列的に、夏暑い、時、に、「寒い」という文章があった場合、嘘だと思うし、そんなことはありえないし、こいつは人間ではないのではないかと思うし、人工知能じゃないのか?と思うし、
同時に、関わりたくないなぁとか思うし
つーか、夏は暑いものだと、思う経験が、あるんで、寒いという感情はそのシステム系からはおおよそ、形成可能ではなく、範囲外である。
つまり、夏は、人間が作ったもので、虫からしたら、夏なんかないし
でもその表象、夏は、統語的に、色んな物体が398こくらいいっぺんにあつまって、できている、んではないかなーと思うわけです。