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地域空洞化とオウム(demo mix)

精神病関連

Bedroom Tourist

2016/04/02 10:56  削除

 

地域空洞化とオウム(demo mix)

90年代前半にこのNationで起きた諸問題は2010年代になってもなんら解決はしていない。資本流動化によってもたらされた地域共同体とは、つまり資本の概念や、利潤を追求することが正しいとなる営利目的の概念が入らない市町村にあった、公民館や、神社のお祭、地域に根づいてたものだ。そこにはそれまでその祝祭日を行ってきた伝統があり、様々な住民の履歴があり、それらが村内部で解決できるようなものであった。

現在はそれに資本流動化による変わるものが巨大某スーパーマーケットであるイオン的なものやららぽーと的なものである。それらは勿論、金が必要だ。金がない場合、完全に人々は孤立するし、何より金があって、パンとお菓子を買って申し訳のないベンチが設けてあるフードスペースエリアであっても、人々は孤立しており、まるでアフリカの野生の動物をオリにいれてあるものを見るかのような感じだ。なにより、資本流動化により、働いている人間もすぐに変わってしまう。山本さんという店員がいたとしても、すぐいなくなる。資本流動化はこうして人々を孤立させ、不安にさせる。

高度成長期のJPANという国では、社会的な目的や目標が明確にあったようだ。それこそ冷戦では、いつ穀物が無くなり飢えてしまうかもしれないという強迫観念すら残っていたはずだ。

資本流動化、そして利潤均等化すれば、働く人間は、国外からもやってくる。そして国内の人間が国外へ行ってしまう。そうすれば何もかもが変わってしまう不安しか残らない。

セブン-イレブンの店員がゾウやキリンでないことは間違いなく信頼できるがそれ以上の関係性を構築することはなかなかむずかしい。

地域に根づいた祝祭などは、それら