統合失調症の幻聴に関する考察20
これまで色んなアプローチでヒトがものを知覚することは本当なのか?と考えて来たのですが、なんだか最近は人工知能に生命が宿るのかなみたいなところに行きがちなので人間ってなんだろうというところに立ち戻りデカルト由来の現象学っぽいところから考えて生きたいなって。
カント「純粋理性批判」でなんかすげえこと書いてる
これがね、統合失調症つまり、カントのいうう統覚の失調に関してすっごい比重が傾くような重要なことを嗅いていて目からウロコだった。結局、完全には未だ内容を全て把握できないものの、昨日の私と200年後の私の同一性を維持するのに演繹づけつまり条件づける際の地平にあるものって、結局永遠に、人工知能が物自体を認識できない感じに似てきてて超情報場空間とかいいたくなるよ。
聞くという入力信号は食べるも聞くのと同じではないのか
現実的なものは理性的であり、理性的であるのは現実的であるとイイますが、現実っていうのは、5感全てのモーダルチャンネルを統覚した際の臨場感、つまり覚醒している、というか、脳が動いている、つうか脳が素材に対して認識しようとしている量に、全て関わってくるんじゃないかなーーと、永遠に、現実って無いじゃないですか。
そうなると相対性理論とか量子力学の範囲も含むようになると、人間じゃムリなんじゃないかなって思ったりして、犬になればできるかなとか
犬は統覚をどうやっているのか
犬は人間よりも統覚を超情報場由来の物自体情報で認識していると思う。
全部過去の記憶
現実って実は290年前の現実かもしれませんし、自分いがい全部ロボットかもしれないですし、他者に意識があるのか実はなかったらどうしますか?もしかして
そう考えると全部、脳の中で情報だけで現実とみんな向き合ってることになります。脳というか、脳なんか、実は無いんですね。脳にヒトの意識があるはずだと80年代のハーバード大学は頑張ったけど、これが意識?って指させるものって、希望や台風を指差して、これがそうだよって言ってるのとなんら変わりなく、永遠にユークリッド幾何学の点は点ではないかもしれない。つうか人間には知覚できない。つうかそれが統合失調症になる、理性誤謬を起こすのだとカントは言ってるんじゃね
理性誤謬は不完全性定理なのかな
めんどくさくなってきた
時間はまず無い。
そもそも時間って無いことにしませんか。時間があるからだめなんです。時間ってなんだと思いますか?無限?ですか。時間は絶対的なものではない。脳が認識した量が時間だとする。すると、現実だ!!って思える時間は、ちょー時間っぽくないですか。あああこれが時間?現実の時間だ。脳がすべてを認識するなんて無いけど、
経済は気分の問題
ぜんぶ気のせいです。
ある、とない、のでは同じではないのか。
ある、ある、あるのか?
あるってどういうことなんだ?????
わからない。
本当に、脳があると思う時、手で触ったりしたとき、脳で臨場感があるとき。でもそれってデカルトが「これは違うのではないか」と思ったときから、なーんもかわってなくないか。
言語が自然数しか認識できない
不完全性定理のなんか、よくわかんないやつ、それって言葉にできないんですかね。
地震は地下の像が動いているからだ
地球は丸くなくて、地平線の先は崖
太陽や他の天体は地球を中心に回っている。
つうか理性的ないものは現実ではない
結局、幻聴ってなんで起きるの
幻聴ではないんですよだから。魂が素材に触発されて感性が受け取る、そこまではニューラルネットワークでよくあることで、問題は、そのデータを聴覚情報として脳に龍リョクするとか、味覚情報として入力するとか、それって自由じゃん。憲法にも嗅いてないし。もし憲法で、明らかに聴覚情報を味覚情報として入力してはいけないって書かれたら、たまったもんじゃねえな(爆
脳の記憶、全部脳の記憶にしろ!現実なんか信じるな!!過去の記憶だけしかこの世界にはないのだ。それは嘘だ。