ニュータウンの終焉:地方創生と娯楽機能
ニュータウンの何が悲しいのか。それは自然にできた街ではないので、意図的にそのときの完全性のある理念(イデア)によって、それはその当時の写像として投影されたピクチャーのようなもので、その絵画の中で生活するわけです。
どんな完全性のある建物や行政でも時空とともに等速直線運動しているので、完全ではなくなってしまうので、ハイデガー的な循環が必要になってきます。
では何が循環しなくてはいけないのか。
高度成長という宗教の終わり。
フランス革命、名誉革命、そしてアメリカ独立、さらにその100年後Japan Revolustion明治維新が始まり、明治から戦後、そして戦後からミレニアムまで、ずっと何かの目的を持っていたシステム構造が日本の社会システム。それがよりより科学技術の進歩が無限に続き、無限に新しいものがよりより社会を形成し、無限の成長をもたらすという宗教です。もし、これ以上新しい科学技術が産まれることはなかったら?そんなしばらく10年は心配はありません。10年くらいは新しい技術は米軍のおさがりで民生用に使用できるようになります。例えばアメリカ安全保障局NSAのDARPANETの民生版がインターネットですし、ドローンみたいなのも、ドローンは湾岸戦争のときの技術です。なので20年位は新しいような技術は発表されるでしょう。でももし何も新しい技術が発表されなかったら?それは死ですか。