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諸国民の富を貨幣で交換する的なことを書いている内容だと思えばいいし

地方創生 最低限家族機能

諸国民の富Wealth Of Nationはヘーゲルでの資産(資力)だった。と思う。ここで資力の資産の違いが、資力は貿易ルートや、工場生産LINEの、網の目の経済規模であって、資産は倉庫にあるストック、帳簿上のほんとの純資産である。

そして家機能はもとより、カフェ機能や娯楽機能、教会機能はこの諸国民の富、資力を貨幣によってちょっともらえる、という富の分配方式なわけだ。

つまりカフェ機能といった関数も諸国民の富

教会、家、娯楽、といった機能関数(道具)に与えられた役割には、諸国民の富の恩恵を受けられるような仕組みを配置している。その仕組は、貨幣という平等な手段により、交換し、社会的分業により社会全体の生産物である諸国民の富をベストベネフィットできる。何も、ストック、商店に陳列された、セブンイレブンのお弁当だけが富の象徴ではない、そのセブンイレブンのお弁当を配送できるシステムこそが諸国民の富だ。

だから社会システムの機能は諸国民の富、資力なわけだ!

まあ、だから夜中に深夜、24時間開いているカフェに行きたい、そこで酔いを覚ましたり、ナイトクラブへ行くまでそこでたわいもない会話を楽しんだり、するわけだ、。

それは我々がそういうカフェ機能を提供できる諸国民の富の資力を生産しているから、そんな24時間開いているカフェとかがあったわけだ。

しかしそこに、24時間開いている某マクドナルドがカフェ的なことを打ち出して、国家全体の経済規模が下がると、某マクドナルドだけしかその都市で24時間開いているカフェが無くなるわけで、ほかは淘汰されていき、そもそも24時間開いている必要性の是非のようなことに発展し、そもそもが24時間開いていることは諸国民の富の象徴であるわけで、昼間の経済規模と、夜の経済規模が存在した場合を象徴している。それはまるでその文明のピークを表しているようである。かつては天敵が多い夜間を、電球などによって保護しかつてない哺乳類の繁栄をもたらしたこと。

諸国民の富つまり国家の経済規模ファンダメンタルズが下がると、某マクドナルドですら存続できなくなり、閉店、しまいにはまったく24時間開いているカフェがなくなり、100円のホットコーヒーで一晩過ごしたホームレスは墓場で過ごすことになった。100円のホットコーヒーと過ごすか、墓場で過ごすか、だいぶ違う。もちろん消費増税後は、100円が120円とかにインフレしたし、お財布がきつい。それよりも24時間開いているカフェ機能が一切なくなってしまって、夜中になると3大都市部なのにおやすみモードになっていると、もはや都市部の意味もないし、もはや都市部とはいえない経済規模になり、もはや地方の田舎の中核都市と変わらなくなってしまう。

手段としての形式されたカフェ機能を、

植民地支配的に某マクドナルドが圧倒的な資本力によって展開し、他を淘汰し、ニセカフェだけになり、ニセカフェすらなくなって、カフェすらもなくなる。国家が滅ぶ。手段も形式もすべてなくなる。記憶から消えるのだ!

諸国民の富の恩恵を授かるのに、権利がない。手段もない。

諸国民の富の恩恵を授かる権利を所得することができるのが貨幣だ。

とりあえず、現状では、某マクドナルドすら閉店し、インナーシティみたいになって、諸国民の富そのものがごっそりどっかへなくなってしまった、キャピタルフライトした

みたいになっちゃってるような。かんじー

そこには欲求の体系すら知性もなくなっちゃう

諸国民の富は人々が欲求するのでそれが生産LINEになっている。もしキャピタルフライトしてごっそりその欲求の体系がなくなれば、もう一度それら欲求の体系、つまり24時間開店するカフェを再構築するには、その人々の欲求を再度、喚起させなくてはいけない。つまりもう一度文明をやり直すようなものだ。

余剰は低所得者に少ない貨幣交換で諸国民の富を配分できることだ

つまり我が国家の富、諸国民の富の繁栄の恩恵を、たった数コインで得られる権利を、下手すりゃ無料で授かることが可能になる。

 グランドフロントやNU茶屋町に持ち前の資産がなかったことが暴露された場合

ドラクエ的なRPGで、街をつくるとするでしょ、道具や、宿屋、教会など、様々な機能をもたせた関数を配置するだけで、変数であるプレイヤーは誰でもいいわけ。

とりあえず街をもっと開発した場合、道具屋のほかに小道具屋とか、無いわけじゃん、持ち前の資産が。いらなくね?

例えば、NU茶屋町ができたのはリーマン・ショック(日本語でリーマン・ブラザーズチャプター11破綻のショック)前で、なにができんだろーと思ったら、タワレコがあって、え?タワレコありすぎやろ?とか思って、いらんやん!とか思って、タワレコしかないやんけ、あほなんか、とか思ったし、それでもビクター関西営業部の担当の方とそのいらんと思われるタワレコに一緒に行って、売り場担当の人とポップのなんたらとかのカンバセーションをやったり、どっちかってゆうと、この売り場担当とのコネクションはヘーゲルの資力で、断然、国内総生産の付加価値を生むのは後者の努力である。タワレコ自体は、ポートフォリオなんとか理論で合格点のものを入れただけであって、いらんねん。そもそもタワレコ自体が資産として無いのに、これがヘーゲルのいう持ち前の資産が無かったこと、になる

 

「そこで今度は彼らの生計を労働によって〔労働の機会を提供することによって〕媒介する(1)とすれば、生産物の量がふえることになるであろう。そうすると、一方では生産物があり余り、他方ではこれに釣り合った〔それ自身生産者である〕消費者が不足するということになるのであって、これがとりもなおさず禍の本質である。そしてこの禍は、前の直接的方法によっても、後の間接的方法によっても、ただ増大するばかりである。ここにおいて、市民社会が富の過剰にもかかわらず十分には富んでいないことが、すなわち貧困の過剰と賤民の出現を防止するにたるほどもちまえの資産(2)を具えてはいないことが暴露される(3)。」(『法の哲学II (中公クラシックス)』(ヘーゲル, 藤野渉, 赤沢正敏 著)より)

法の哲学引用 - ストレートネックで首カチカチになった時読みたくないブログ(仮)

 同じようにグランドフロントは、ドラクエみたいなRPGにとって、道具屋や以外がもはや無く、持ち前の資産の中では何もない、ないので作り出した関数を、配置したが関数にもならない、空関数としかならない。つまりまだ城を作ったほうがよかった。城はいくつあっても城だ。ピラミッドでもよかった。

道具屋だらけのドラクエの街

グランドフロントには道具屋ばっかりの街だと思えばいい。そんなに道具屋はドラクエ的な街には必要ない。やっとたどり着いたドラクエの街が道具屋しかない街だったら、その街は街なのか?もはや意味のない繁栄、虚無そのものの繁栄だ。繁栄だけが目的になってしまった結果が、そんな都市開発になってしまった。誰も利用しない、意味のない道具屋で、何が買えるだろう。ちょっと違った武器や装備が、持ち前の資産にあればいいのだけど。あるわけがねえ!

諸国民の富は社会的共通資本なのかだけど、

社会的資本の中にはヘーゲルの資力も含まれるし、なんだ、カフェとか、教会とか、社会的資本じゃないかな。

天気予報も資力だ!

誰かが明日以降のお天気を予報してお知らせてしてくれる。これも諸国民の富のひとつである。例えば、明日のお天気は晴れかしら?そんな疑問が浮かんだ時、誰かがお知らせする資力は立派な諸国民の富だ。自分がやらなくても誰かがそれをやってくれているのだ。

ようつべで見逃したテレビを見れるのも資力だ

ようつべも自動的にネット上にあるわけではない。誰かが自己満足か、プロモーション目的家、ユーチューバー的な収益目的なのかわからないが、あなたが欲求したテレビ番組などを勝手にネット上にアップしてくれて、あなたはそれを見て満足できる分業になっている。これも資力であり、諸国民の富のひとつだ。 

地方の資力は某イオン的なに集約された

機能は、意思を与えた道具の関数であり、機能に意思が宿っている。一位の市民がその土地でこれまでに培ってきた貿易、つまり市場の卸とか、その街特有の地場産業、例えば大根やお魚などの生鮮食品などを直接売買する知人ルートなど、その全てを破壊し、吸収してシャッター商店街にしてしまうことができる。これにより諸国民の富は国家規模ではファンダメンタルズはかわらないが、その地方都市では諸国民の富が完全になくなってしまうのだ。最悪、友人関係にもひびがはいり、最悪な上司と部下のコンプライアンスな関係にまで落とし込まれる。植民地支配の成れの果てだ。持ち前の資産をすべて持っていかれた結果だ。

 

機能関数が腐るのを阻止する

カフェ、家、教会、娯楽などの関数は変数によって出力が変わってくる。つまり関数をちゃんと使えていない変数ばかりが入力されると、出力である数値がその関数からクソしか出力されなくなり、やがて関数自体がなくてもいいんじゃない?みたいな感じになって、風が吹き始め、結局、なくなっちゃうのだ。

カフェをカフェとして有効に使わない変数、つまり人々がいたとする。例えば、カフェに小さいおこさんを連れてきて、なんか居座るパターン。確かに法律にも憲法にもカフェの正しい使い方は書かれていない。しかし書かれていなくてもおおよそ常識でわかるはずだ。しかし幼稚園的な使い方をすると、カフェ機能の関数から出力されるGDP効用は、幼稚園なのだ。もしこれが200倍規模になると、そこはもはやカフェではなくなる。一時的にカフェの外観を保っていたとしても、やがて空きテナントになり、介護施設か、整骨院、医者、よければ美容院になる。これはもう決定的なことだ。

こうゆうことはよくある。カフェ機能の関数で最適な出力できるGDP効用は、みなさんがカフェに期待することだ。カフェになにをきたいするだろうか。その欲求を満たすためにカフェという分業が存在しているわけだ。欲求が無ければできなかった。家では誘惑が多いので静かに勉強したい、外回りの営業の休憩で、商談で、待ち合わせに、カンバセーションに、大麻を吸う、大麻を吸いまくる、リア充がドヤ顔でリア充する。これ以外にあるか。むしろこれ以外の使い方をすると、迷惑になる。例えば、カフェで踊る。カフェ営業の延長でDJイベントもよくあることだ。しかしそれはパーティータイムだというフレコミを前日にしている。そうなったらアメ村のdigmeoutはどうなるんだ。というか、まあカフェ機能の最大の出力は、知らん人々がその空間に自然派生的に集結し、その空間で各々が過ごし、おのおのがパレート最適した効用があり、あ、なんか俺、チャリ乗る時カラダが軽いな、とか、なんか帰り道が、学校の帰りみたいな妙な充実感があるのが良い。これが諸国民の富だ。諸国民の富の恩恵を最大限ウケることができるのがこの社会契約だ。 

我が意思の写像である関数機能(道具)がなくなれば意思すらも消えたことになる。

私達が、娯楽機能に与えた意思は、まったり楽しみたいや、脅威にさらされず、収穫したもので溢れかえった文明の繁栄を楽しみたい、思う存分味わいたい、諸国民の富をみんなのおかげで、社会的分業のおかげで、こんなに良い目に会っている。それを形に関数として機能させる意思、それが娯楽機能として役割を与えられている。それがなくなれば、諸国民の富を存分に味わうこともできなくなるし、下手すりゃ諸国民の富自体がなくなっていくことになる。

 

代謝酵素(シトクロムP450:CYP)

代謝酵素(シトクロムP450:CYP)と抱合反応

グルクロン酸 - Wikipedia