強迫神経症に関する考察19
西暦1000年頃の神聖帝国では生きることが罪のような気分
十字軍を聖地に派遣している頃の人々はもはや息をすることですら罪深いと感じるようになっていました。罪深さをなんとかするために教会で懺悔をするようにしました。
こんな感じでキリスト教国家それから分裂したプロテスタント国家は、罪深いという概念が生きている以上必ず発生する構造の中に住んでいるようです。
カントールの対角線論法
時間Timeという概念は人類が前頭前野の発達に伴い言語を獲得したことで、無限数の中から素数を見つけ出したことによって、羊の数や木と林の違いなどを分別して先の未来を予測するようになりました。しかし素数を発見しても、羊や木の数は消費すればなくなってしまうので、それらが無くなるということは種の滅亡を示唆してしまう象徴的なイデアとして発生します。カントールの対角線論法ではすべての・・・なんだっけ?忘れちゃった。難しいもん。
ユダヤ教やイスラム教では異常な(アブノーマル)ほど神経症(ナーバス)なまで経典がある
EDMのフェスまあぶっちゃけ、なんでもかんでもの元はグラストンベリーフェスティバルなんですけど、そういうプロテスタント国家のフリーダムな空気とは対象的に、ユダヤ教では、生活に関するすべての事に関して決まり事があります。朝起きてすることや、お祈りの時間など。堅苦しいかもしれません、でもよく考えてください。結構、充実すると思いませんか。みんながみんなその時間には同じ構造なのです。人間の幸せは極めてソサイエティな社会的な連関であったりします。学校に通っている間ってなんだか、みょうな連帯感というか、なにかに包まれている感じがありましたね。特に学校が終わった放課後などは、全ての律令から外れて、まるで清教徒の開拓者のような気分。
全ての人類は精神疾患でありそれは数学により証明できる
ジャック・ラカンは人類はすべてがなんらかの精神疾患であることを言語を使った以上、常に何かが欠落していて精神疾患であると言います。
これはその欠落した何かとは大文字の他者でしょうか。欠落したものとはカントールの対角線論法のこの表に載っていないですよね。数学的にも欠落したものはω数発生していまします。しかも目に見えない。
しかし、ユダヤ教のようにその目に見えないような恐怖をラビが論議して経典に追加すれば、欠落したものは、こうしたほうがいいんじゃないか、みたいな、ああ
日本では高度成長期が宗教の機能を保持していた_かも
高度成長期はすべてが成長し、全てが進化するというものです。この場合一見、キリスト国家のようで、キリスト国家が生まれた矛盾点をすべて成長というもので罪を滅ぼすことができたのです。
でもしかし、ウォルマートに代表されるような日本ではイオン系列のスーパーなどが低所得者層を洗脳してコントロールするようになってから、みんな抗生物質漬けの豚のよう。
編集部よりコメント
精神がおかしくなり頓挫しました