すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

|職業:お蕎麦屋さんの中越さん 3 ver 100004

蕎麦屋さん(9999)を作り出しているのは我々の社会である。実際にお蕎麦屋さんをタイムマシンで過去の時代、AD5000のエジプトにもっていくとする。するとお蕎麦屋さんって何?ってなるでしょ?エジプトの人々は毎日暑かったりナイル川氾濫したりするし、灌漑農業で忙しくて牛が必要なところに、いきなりお蕎麦屋さんが空間上に現れるわけね。まあ、とりあえずおいしいおそばというFOODを作ってくれることはわかるけど、通貨を支払わないとイケないので、その当時エジプトで使っていた通貨では、無理っぽいんだよね。ってゆうかそば粉がないナイル川がなので、お蕎麦屋さんはそば粉を手に入れることができず在庫切れして一瞬で廃業。それ以前に電気とかないし、あとなんか水道とかもねえし、水道ができるには古代ローマの水道橋まで4000年くらいまたないとあかん。だから存在としてお蕎麦屋さんという職業は意味がなくなって、そんな職業ねえよ!ってなるわけだ。つまり職業というのは社会の写像で、社会全体が変わってしまうと職業関数も変わってしまうのです。

つまりここでは「生きがい」をテーマにしていましたが、中越さんがお蕎麦屋さんで得られた効用「生きがい」というのはここAD5000年のエジプトでは、職業としてお蕎麦屋さんでは得られないわけで、そして何をすれば中越さんは、その「生きがい」を手にできるかと言えば、とりあえず灌漑農業しないとみんな王も奴隷も死んでしまうので、灌漑農業やろうぜ!(バンドやろうぜみたいなノリ)灌漑農業やろうぜ!ってとりあえず、イモ掘ろうぜ!って、感じで職業もそんなもんねえよ!ファラオ王と奴隷とプリースト司祭しかないねん!勝手に職業とか作んなよ?みたいな空気ですよね。

すると社会的分業で離散されて補完関係にあった「生きがい」というものは結局、社会的分業によってのものであって、根本的には社会的分業しなければみんなでとりあえず灌漑農業しないと死んじゃう状況だと、生きがいというのは実は嘘であったことが暴露されるでしょう。

実際に、中越さんにエジプトで灌漑農業をやってもらいましたが今回、どうでしたか?

中越さん「ええ非常に楽しいですね。みんなで灌漑農業。日が暮れたらみんなでぶどう酒飲んで楽しいですし、文明って孤独っすね」

そうですね

中越さん「灌漑農業やろうぜ!不労所得なんてパラノイアだ!!」

そうですね

ファラオ王「せやねん、お前ら奴隷おらな、王もしんでまうねん」

中越さん「ファラオ王ってきさく、こんなに話しやすい王いないっす」

ファラオ王「せやろ。だって今の状況、奴隷も王も、灌漑農業やらなみんなしんでまうねん、しゃないやん?」

中越さん「文明って孤独っすよ。みんな何してるかわからへんし、スマホばっかりみて現実見てない」

ファラオ王「いいよな。ナイル川見なくてスマホばっかり見てられるんやろ」

中越さん「寂しいっすよ!だってみんな灌漑農業やってら疑うこともないですし」

ファラオ王「なるほど自由とは不自由を知らないことなのかな。だもの」

以上、WEB対談「灌漑農業やろうぜ!」でした。