すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

YAHOO掲示板3

時代の節目から約3年 2006/ 8/24 2:14 [ No.34 / 227 ]

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primalschool34



もうすぐ夏が終わりですね~。ボンスリから10年の夏ってことだったんだけど、結局なんもなかったみたいなー。
いや、確かに何かは提示できていると思う。
最近思うけど、時代の節目ってゆーのがあって、それがこの前だと2003~04で、それが100年後から見ても節目って感じの節目だったのさ。
で、僕はそうゆう節目って時が好きで、これから何か時代が動くぞって感じがしてワクワクするわけで。でも何かの終わりでもあるわけ。
そうゆうとき、こう生きていてよかったなぁ~って思える瞬間があったりした。で、今はその節目の時から、今からはじまるぞっこれからがってゆうそのこれからの時期で、これから1,2年経った頃だと思うんです。
なので、何かを整理するとか、何かを決着つけるとか、あんまふさわしくないのかもしれない、っとか思ったりするんだけど。
だからただ毎日が過ぎるのをただひたすら耐えるだけってゆう。

それでも時間は流れてってるわけで、今日も昨日になるし、明日は今日になる。ただ何故か時間をとどめることはできずに、現在がものすごいスピードで通り過ぎていく。
これは皆にも当てはまるんじゃないかな~と思ったり。どーなんですか皆さん。2006年も残りあと3ヶ月くらいになっちゃってきてますよ?
2006年なんかありました?
2006年ってどんな年になりました?
とまあ忘年会よろしく、早くも年末モードにはいってしまっていたり。
夏終わる前に年末モードになるのもはじめてだなー、それだけ2006年って中途半端ないらない、消化試合みたいな年なのかもねー。
だって思い出残ることほとーーんどないもん。
この夏くらいはあるんじゃねえのかあああ!!?と思ったけど、結局なんもなかったぞ。いいのか、これでひと夏を消費してしまったぞ!!
全てが来年の2007年の伏線のように思える。
果たして2007年は時代の節目となりうるのか。どーなるんだろー。
っつーか2010年は、10周年記念を皆でやろう!
幕張メッセで皆集まって、10年だ!もう10年か!って感じで。
だってもう6年だもんね。

今考えるとなんで時代の節目が03~04だったんだろう。
なぜキリのいい00ではなくて03ってゆうスパンが必要だったんだろう。
もしかすっと、2000年代も実は90年代の延長だと思って生きてた人がいっぱいいてたんじゃねえかあ?違う違う、00年代はまったく違う時代なんだってば、いい加減良き90年代は忘れようよ!と、6年かかって人々はようやく忘れようとしている。00年代にも畑に肥料やんなきゃ芽がでてこないよ。でもねー、2000年問題あったように、何々96とか何々99とかあったじゃない、フジロック97とか。2000年になって、フジロック00は、やられたなーと思った。そうきたかと。じゃあ80年後どーすんだよ。たぶんフジロック2095とかに変更されちゃうんだろうね。じゃあそこで2095年問題浮上しちゃうよ。
でも結局2000年問題って、人類の心の問題だったのかもね。

2000年問題 2006/ 8/25 8:22 [ No.35 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



2000年問題:ここで言う2000年問題とは、コンピューターのシステム上の問題ではなく、人類が陥った不透明な感覚のことである。
その不透明な感覚の余波はそれ以前からあり、97年98年99年と年を追うごとに増えていった。
どこがどう不透明になるとか言えば、まず、感覚だ。90年代初期にあったような純粋な感情はなく、ひたすら閉鎖的で、閉所恐怖症的である。
そして宙に浮いたような感覚に陥ってしまう。どこが下でどこが上なのか。
そして60年代とも70年代とも80年代とも90年代とも言えない
すべての時代がミックスされたような感覚に陥ってしまう。
2000年に起きた、事件などは全てが2000年の大きな見えない力によって引き起こされている。この見えない大きな力のことを2YWと言う。
2YWが引き起こしたのは、この不透明な感覚である。
この感覚により、90年代の感覚のまま2000年代をスタートしてしまうことになる。2YWが猛威を振るったのが、2000~2003年まで、イラク戦争によってある程度2YWは少なくなった。イラク戦争は2YWによって引き起こされた。2004年の初頭くらいには2YWは完全になくなっている。



クリエイターズ対談第一弾 2006/ 8/26 3:11 [ No.36 / 227 ]

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primalschool34



今日は世界中のクリエイターを招いて対談してもらいます。第一弾はビヨンセネプチューンズティンバランドエミネム石野卓球です。

ビヨンセ「だいたいもうネタ尽きた
ネプチューンズ「俺も
ティンバランド「っつかティンバビートとか作ったのもう7年まえだしな俺
ビヨンセ「未だにやっている人いるわよね
ネプチューンズ「もういいっつーの
ネプチューンズ「NERDとか解散したし
ビヨンセ「ディスチャも解散したしな
ティンバランド「何年か前にNUSKOOLBREKSとかあったよな
ビヨンセ「なんだったのあれ?
ネプチューンズ「あんなもんハイプだ
ティンバランドダンスホールに新しいビートができたらしいけど・・・
ビヨンセ「あれもどーかと
ネプチューンズ「俺達が自由にできたのも3年前だな
エミネム「もう俺も自由がなにもない
ドクタードレー「ヒップホップももーだめかなぁ
エミネム「俺が普通の人間だとゆうことが01年のフジロックでわかっちゃったし
ビヨンセ「あーやってらんねえ
ティンバランド「石野さんなんとかしてよ
石野「え?僕っすか?
ネプチューンズ「並び的に君がオチじゃないか
石野「並び的にそうなんだけど、どうゆうオチにするか全く決まってない
ビヨンセ「だめだオチもないし、話もまったく盛り上がらない
ティンバランド「ただ単に話してるだけとゆう
石野「オチないので、質問。これからヒップホップはどうなるの?
ネプチューンズ渋谷陽一の単なる趣味で
ビヨンセ「でた!困ったときの渋谷陽一
ティンバランド「長者番付のってるらしいよ
ネプチューンズ「そうなの?
渋谷陽一のウルヌン滞在記 2006/ 8/26 17:25 [ No.37 / 227 ]

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primalschool34



株式会社ロッキンオンの社長渋谷陽一が世界を旅する番組、渋谷陽一のウルヌン滞在記。今日彼が旅するのはポリネシアの石器文明の村です。

渋谷「あーここかー、石器文明の村は
村長「!!!??
渋谷「言葉しゃべれてねーし
村長「???
渋谷「レッドツェッペリンって知ってるか?
村長「レッド??ツ???ン?」
渋谷「そうそうレッドツェッペリン
村長「チョップリン?」
渋谷「チョップリンじゃねえし、なんでチョップリン知ってんだよ」
村長「オオーレッドツェッペリン?」
渋谷「その天国への階段ってゆう曲もってきたから聞け」

村人聞く

村人「!!!スゲエ!!アタラシイオドリニシヨオ!!」

その後レッドツェッペリンはコノ村の祝祭時によく使われたとゆう

王星に旅行に行こう 2006/ 8/27 3:12 [ No.38 / 227 ]

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primalschool34



こうゆう時に宇宙へ家出くんがいてくれたらなー。

2001年宇宙の旅に出てくるモノリス。あの黒い物体は何なのか?あれが地球外生命体なのか?
ああゆう黒い物体をどこかで見たことがある。
ゲームの話になるけど、ファイナルファンタジー8で、謎の黒い物体がでてくる。
何故だろう、どこかで見たことがあるよーな気がする。
あれは神の力なのだ。マトリックスでゆうソースが使う、神の力なのだ。
とこんなこと書くとオカルト信者っぽくなるが。
しかしああゆうどっかで見たことがあるな~とゆうのはたまにあったりする。
レディオヘッドのアムーニジアックのアートワークや、ライヴでのトムヨークの動きであったりする。

ああゆうどこかで見たことあるなぁとゆう物は実は人類が共存している意識であったりすると思う。

神の力とゆうのは黒い。とにかく圧倒的な力で襲ってくる。
マトリックスの3作目でもでてくる。
そうゆう少し神の世界に触れることができる作品が、2001年の宇宙の旅だったり、ジョイディビジョンの”Love will tear us apart"のPVや最後のほうである。子供の時みたことがあるような、どこかで感じたことがあるような、意識を超越した感覚。
サードアイが開いたような。
神の世界でもないな、なんていったらいいだろーか。
なんかどっかでみたことのあるもの?



今の時代は勝者も厳しい? 2006/ 8/28 22:06 [ No.39 / 227 ]

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primalschool34



今の時代は負け組みと勝ち組に分かれている。極論かもしれないけど、メディアがただ喜んで報じているだけかもしれないが、実際よく知らんが、そうらしい。
しかし、今の時代、勝ち組にも厳しい風当たりはあたっている感じがする。
もっと勝ち組が心から楽しんで喜ばなければいけないと思う。
でなければ、誰がこの世の中で楽しんでいるんだ。
誰もこの世界で楽しんでいなければ、この世界はつまらんものになるだろう。
前からホリエモンを見ていて思ったことがそうだ。
どこか不満足気だ。
しかし何故勝ち組にもそんな世の中の風潮に巻き込まれてきたのか?
それは世界の至るところで、文化や文明が衰えてきたからだろう。
あの偉大なアーティストも実際はけっこうしんどかったりするのだ。

それではこの世の中喜んでいるやつなんかどこにもいなくなっちまう。

心地よい騒音がなくなったのもそのせいである。

ホテルのロビーで隣から聞こえてくる楽しそうな会話。
その場の空気感だけでも十分心地よくなれる。
今そんな心地よさがほとんどなくなってしまっている。

その為には勝ち組が本当に楽しまなくてはならない。
そうじゃなきゃ夢がない。

新しい文化と文明が必要だ。

新しい文明や文化ってなんだね? 2006/ 8/29 3:10 [ No.40 / 227 ]

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primalschool34



新しい文明や文化が必要だってずっと書き続けてるが、それを書いたところでどうこうって話しである。新しい~が必要だ!!ってのは誰でもかけることであって、自分はその先を書く必要があると思う。いくら~が必要だって書いたところで明日から何が動くわけでもない。
しかし、ビートルズニルヴァーナのスメルライクティーンスピリットがやったようなことは、結局ある程度の世界を動かすことはできた。
しかしそれは錯覚であって、決してそのCDの流通システムを変えるようなことではなかった。宇多田ヒカルが700万枚売った時も同じである。
余暇でたまにふらっとはいったレコ屋でたまたま耳にはいった曲がそうであって、CDを買ってしまったとゆう。しかもそれで結構感動してしまって感化されちゃうってゆう。確かに音楽で何かは変えることはできるかもしれんが、その社会構造そのものを変えることはできない。これはアンダーワールドのカールハイドも同じことを言う。
ではこの社会構造そのものを変えてしまおうではないか?
どうするかって?そりゃ新しい資本論を唱えたらいいわけだ。共産主義よりももっと空想的な。結局共産主義なんて空想だったわけだけど。
資本主義もある程度人間の本能に基づいた思想であると思う。
そだけにその思想そのものを否定はしづらい。
では人間の本能とは何かと考えたとき、死をしって宗教ができて、争いに勝つことによって階級が生まれ、セックスをすることで増え続ける。
食う、寝る、やる。これがマズローの第一段階の欲求であるとするならば、
そこにTVを見てしまうとかとゆう行為は、娯楽である。
しかしここ数十年の人類はTVに左右されやすかった。
TVを見るとかネットをやると行為は、別に必要ないのだ、余暇の過ごし方の一つとしてあるわけで。じゃあ何故TVやネットを見るんだと言えば、楽しみがないわけで。じゃあなんで楽しみがないのかと言えば、別に大した事件もおきてないわけで、戦争とか、富士山噴火とか起こってるわけじゃないので、ただ平和な毎日を過ごすには、TVを見るとゆう安易な手段で楽しむしかない。
24時間TVが視聴率をとっているのは、未だTVの影響力は強い証拠であり、皆は毎日にちょっとした刺激になる感動を求めているわけである。
じゃぁテロも戦争もかなりの刺激になる。でももうあんな事件はイヤだろう。
なんの話を書いてるのかよくわからなくなってきた。
新しい思想としてポストモダンは別に社会構造を変えるわけではなかった。ではここで新しい思想としてポスト実存主義はどうだろう。社会構造を変えるよーな思想では決してないね。個々を変えていくかもしれないけど。
ここで個々が変われば世界が変わるとゆう安易な手法に陥りたくない。
個々が変わっても社会システムだけはそのまま生き続けるのだ。
そこでだ、新しい文明が発達したとしよう。空飛ぶ車だ。空を飛ぶから空の規制をしなければいけない。あーおもんない!もっとあるだろー。
そこでだ、地中にある炭素を組み合わせ、食物を無限に作ることができる機械が発明されたとしよう。これは大変だ!コンビニやスーパーは大打撃である。なにせ食料品が売れなくなってしまうわけだ。そしたら流通システムは大混乱。この機械の名前は、ツクレルノダー。っくだんねえ。
なんでこんなことを夜中に書かなきゃいけないのかわかんないや。
何が言いたいのかわからん文章だし。
と、とりあえずドラえもんが発明されたら全ては一見落着だ!!
頑張って発明してくれ!!

ニンテンドーDSで音楽を作ろう 2006/ 8/29 3:29 [ No.41 / 227 ]

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primalschool34



ニンテンドーDSで料理を作るなら、音楽も作れちゃうわけである。
ソフトの名前は「ニンテンドーDSで音楽を作ろう」そのままである。

このソフトは、様々な音ネタを自宅でミックスすることによって、あたかもクリエイターかのようになれるのである。しかし音ネタを取得するためにはバイトをしなければいけない。バイトはまき割りやカラオケのスタッフ、色々ある。たまーに友達とかができたりして、色んな情報を得ることができる。
ここまでどこかで聞いたことのあるよーな話だが、ここからが違うのである。

なんと通信機能がついていて、世界中のニンテンドー野郎とつなぐことができるのである。そこで様々な意見や音ネタの交換ができるのである。
しかも専用のWEBサイトがあり、そこでバンドメンバー募集もできる。
しかもその専用のWEBサイトでは、新幹線の予約もでき、なんとTUTAYAのDVDも月2980円で借り放題なのである。
しかもこれだけは終わらない。
ニンテンドーDSで買い物もできてしまうのだ。
コンビニに行って画面を見せることによって、買い物ができてしまうのだ。
しかもだこれだけでは終わらない。
地震の予知もできてしまうのだ。現代科学ではまだ予知できないはずなのに、どうやってか予知できてしまうのだ。
しかもこれだけは終わらない。洗濯できてしまうのだ。
ニンテンドーDS本体にはどう考えてもそんなことはできるはずがないのに、洗濯もできてしまうのだ。
しかしここからがもっとすごい!!
ニンテンドーDSがどっからか金を盗んできてくれるのだ。
これはありがたい。明日から仕事もなにもしなくてもいい。
そんな夢のようなソフトなのだ。

発売は未定!!24世紀くらいになるかもしれない。

もう夏が終わる!! 2006/ 8/30 0:27 [ No.42 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



夏が終わります!!メタモも終わりました。あとはWIREだけです。
この夏何がありました?時間は早いものですね。あっとゆーまに夏終わりですよ。だからなんだって話なんだけど、別に時間が経つのはしかたないことだし。
しかし今回のフジロックのメンツが表しているよーに、あんまり印象に残る夏では皆さんなかったのではないだろうかと思う。これは何回も僕書いている。
夏の最中にも書いている。10年前の夏と比べて全然違う。10年前はひとつひとつの思い出が輝いていた。しかし今年は地味ーな感じだ。
これは何故かと書けば、2006年の夏はいわば消化試合みたいなもんで、あってもなくてもいいような夏にある程度なってるわけです。これは運命であって偶然ではなく必然です(オーラの泉)何故必然なのかと書けば、この消化試合をしなくては、次がはじまらないからである。次ってなんだ?と書けば、勿論2007年である。2007年はものすごおおい年になるかもしれない、かどうかはわからない。
じゃあ2006年9月以降はどうでもいいような毎日になるのかと言えば、そうかもしれない。10月以降の運勢を知りたければ、どこのコンビニでも売っている、細木数子の○星人の運勢とゆう本を買いましょう。嘘です。
なんとなく2006年って中途半端じゃない?なんかイベントも特にないし、事件もないし。2006年だよ?70年代の人が空想していた未来の2006年だよ?空飛ぶ車もない2006年だよ。変わりに携帯電話でTVが見れてしまう時代になってしまった。
やっぱどう考えても2006年って消化試合の年だ。
そんな年にどうこうしようとしても無駄なのかなぁ・・・・。
しかし夏が終わる。後2つかで。もう気温事態も下がってきて、ずいぶん涼しくなってきた。
だから何?って話だけど。
問題じゃないか。何を頼りに生きていけばいいのだろうーか。
2008年くらいに、モノリスを作った宇宙人がやってきて人類を

ごめんなさいただの駄文になってしまいました

2002年の暗さはなんだったのか 2006/ 8/30 1:56 [ No.43 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



2002年の世界とゆうのはどこか、暗闇の中にいたとゆう感じがする。
全部が閉鎖的で、もうこれ以上どうにもできないような時代。
しかし、人類はなんとかそれを乗り越えて2006年までやってきた。
本当によくやった。もう今じゃブーム自体が越えてしまって当たり前になってしまった、あの「カバーブーム」を越え、もう脚本がないから今度の舞台は日本だ!ってことでラストサムライもあった。
しかしよくこの世界は壊れないで生きつづけるよなあ。
人類には感服するよ。とゆうよりその社会システムが強固な証拠かもしれない。だからよっぽどのことがない限りこの社会システムはなくならないとゆうことだ。例えば、宇宙人がせめてくるとか・・・。そういや宇宙戦争なんてゆう映画もあったなぁ。コケたけど。今年なんかポセイドンこけまくりだったし。そういや2004年って何かあったっけ?ハウルくらいしか思いつかない。
しかし2002年の先が見えない閉鎖的な感覚はなんだったのだろう。

それとは逆に2001年の終わり頃、ちょーどケミカルのスターギターや宇多田ヒカルのトラベリングがオンエアーされてた頃、何故かすごい希望に満ち溢れていた気がする。この先未来が明るいような感じだった。
アンダーワールドのツーマンスオフが絶頂だった。
しかし、何故か次第に失望から絶望に変わっていった。
僕は8年音楽リスナーをやっているので、音楽からの影響が大きい人生を送っていたからどうしても音楽を基準にして物事を考えてしまってたせいもある。
音楽抜きであの頃を振り返ってみると、ちょうどテロの後で、人類が一致団結しようと見えた頃だった。アフガニスタン空爆の頃かな?

ちょうどその頃、新しい生命が息吹を挙げていた。
それがポスト実存主義だった。

実はその前にそれは生まれていた。
宮崎監督の、「千と千尋の神隠し」でそれは生まれていた。

それは皆とバカ騒ぎするんではなくて、ひたすら家庭の中で居るとゆうこと。
自分が生まれた場所をもう一回再確認するとゆうこと。
世紀末、2000年の狂騒で失ったものをもう一度再確認するとゆうこと。
バラバラになってしまった心の破片をもう一度合わせる。
10個あったものが4つになってしまった、それをもう一度10個に戻す。

見栄や憎しみをとっぱらって、腰をすえて話し合いをするとゆうこと。

今時代が激しく動いているために、それはなかなか実現できないが、少しづつでもいからやってみてほしい

調子でなくなってきた 2006/ 8/30 22:59 [ No.44 / 227 ]

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primalschool34



なんか僕自身も社会システムに飲み込まれて感じがする。何も思いつかなくなってきた。またCMのパロディやろうかと思うけど、何もいいCMがないし。
9月に入る為のちょっとした流れに巻き込まれてるのかもしれない。
ってゆうかほんとに書くことがなくなってきた。
でもなんか書かなきゃいけない気がしてならない。

社会のシステムは毎日生活していたら誰でも取り込まれてしまうもの。トイレにいく、昼食をとる、とゆう行為もそれもある意味でのシステムになってしまう。この宇宙のシステムを作ったソースを何としてでも倒さなければいけない。その為には僕が毎日ここを更新する必要がある。何故あるかと言えば、変な魔力がついてくるからだ。特別な感動や楽しさのある番組でもないのに、毎週やっていた番組が突如終わってしまったら、何故か寂しさが残る。それは毎日とゆう習慣にそれが組み込まれているからである。人は無くなった場合の差異で気がつくのだ、それに。もしかしたら今やってるココリコミラクルタイプでもそうなるかもしれない。毎日更新されるここを毎日見るとゆう行為で、それが習慣になり、いつしか当たり前になる。そこで魔力が発生してくるのだ。
この魔力ってのはよくわかんなくて、どっからでてくるのかわかんないし、なんなのかもよくわからない。ちなみに2YW(2000年頃に起こった見えない巨大な力)はその魔力が世界規模で起こったことである。2YWは一見終わったよーな気がするけど、まだ終わってないようだ。音楽雑誌SNOOZERは2YWによって休刊にまで陥ってしまった。
2YWと同じくらい怖かったのがやっぱり社会システムだけど。例えば電車で通勤するとかね。まだどこかで2YWは残っているのである。

ポスト実存主義で、あまり死の恐怖は語らないほうがいい。
それを語ってしまうとお終いなのである。何もはじまらない。
時々赤ん坊が泣き叫ぶ場所に立ち合わせることがあるけども
赤ん坊は正直である。あれは泣いて叫んでいるのだ。こんな世界に生まれてきたことを。僕はどうしてもそう思える。叫んでいるとしか聞こえない。
人はその叫びを普段理性で抑えている。滅多に表にでることはない。
ポスト実存主義はその理性で語らなければいけない。泣いて叫んでいても何も変わらないのだ。全部無駄に終わるのかもしれないけど、とりあえずやれることをやる、そうやれることをやればなんとかなるのだ。10個あったものが4つになって、それを10に戻せばいい話である。そのためにはポスト実存主義はいい橋渡し役になると思う。問題は社会システムがあまりにも強固とゆうことだ。しかも問題は社会システムだけではなく、ある意味運命的とも捉えられるほど皆は大きな魔力にとらわれている。もしかしたら本当に科学では証明できないような魔力とやらが存在するのかもしれない。また人類が月に行ったような団結をすればまた話は別である。でもそんなことは到底ない。実際呼びかけるにしろ、僕自身ポスト実存主義がなんなのかさえ証明できない。ほんとにあいまいな、感覚的な思想である。ただし、確実にそれは存在している。それをここ5年で僕は肌で感じたからだ。僕はその感じたものをどうしても皆に伝えたい。ただそれだけのことである。テクノミュージックでポスト実存主義を感じることができる作品は、エイフェックスツインの「Druqks」もしかするとケミカルブラザーズの「Come with us」もそうかもしれない、確かじゃない。
あと日本のバンドでNIRGILISの初期の作品も感じられる。ポスト実存主義では、台所とゆうキーワードがある。全く謎である。

頑張れY世代 2006/ 8/31 21:08 [ No.45 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



今日で夏も終わりですね~!

ジェネレーションYとは?
クリックするために生まれてきた世代。IPODもこの世代の象徴である。1977年~1987年くらい?に生まれた世代、団塊世代のジュニア世代。
ネット上で買い物をすます。ニートやフリーター。楽観的である。

このY世代がね頑張らないと次ないよ?今の子供達は全部システム内でしか物事を考えてない、枠内からでようとしていない。このままではクリエイティヴ面で危機がくる、とゆうか文化そのものに影響がでてくる。
世界中の兆候はどうかしらないけど、日本だとムシキングとかそうゆうので遊んでいる子供がいるじゃないか、彼らは決してムシキングのシステム上でしか遊ばないように見える。ムシキングのシステム以上のものを発明しようとしない。
これはコギャル文化(死語)にも現れている。正直99年の9月以降、彼女達から発信された新しい文化はほとんどない。メディアが与えたものばかりだ。

何故Y世代にニートやフリーターが多いのか。それは新しい価値観を持ちえているからである。だから3年以内に辞めちゃったりするのである。
決して怠けているのではない。自ら新しい主体性をもとめ諸価値から脱しようとしているのである。しかしそれは夢なのかもしれない?この世界で自分にふさわしい世界などないのかもしれない。
なら作ろうではないか?新しい世界を。そして新しい文化を。
その為には、今あるシステムに頼ってはいけない。難しいことだ。
この社会システム上の更なる上に、新しい社会システムを作るのである。
ポスト実存主義は、まさにY世代にうってつけの思想である。

そんなことはいいとして。2007年を目前にして、ほんとにY世代頑張らないといけないと思うよ。今のY世代自体もその次の世代みたいに、システムに飲み込まれようとしている部分がある。そうなっちまったらお終いだ。
グランジのX世代のよーなムーブメントを発しようじゃないか!
しかも21世紀にふさわしい、今までにない新しい感覚のムーブメントを。
と、言うのは簡単である。実際どうゆうムーブメントをやりゃいいのかわかんない部分が沢山ある。もしかしたら、それがムーブメントと言えるのかよくわからないものになるかもしれない。何せ20世紀のムーブメントと一線を化すからね。

うーんよくわかんなくなってきた

テクノっちまた暴れる 2006/ 9/ 1 0:33 [ No.46 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



テクノっち8「ちくしょおおおおおお!!

アンダー「まあまあ落ち着いて

テクノっち8「ちくしょおでもないや、このやろおおおお!!こんなビルぶっこわしてやる!!

アンダー「あーだめですよ、松崎プラザを素手で破壊するなんて!!

テクノっち8「あははははは壊してやった

アンダー「テロじゃないですか!!

テクノっち8「はらたつからエンパイヤーステートビルもぶっこわしてやる!!

アンダー「あーだめですよー!!ニューヨーカーの最後の砦があああ!!

テクノっち8「まだおさまらん。どうしよ地球破壊しよう

アンダー「ああ世界中の核を発射しようとしている!!だめだ人類はもう滅亡だ!!この世は終わりだ!!神は死んだ!!

太陽が千個あるかのような光が降り注ぎ、その後雷が1万回あったかのような轟音と衝撃波がやってきた。
そして世界は崩壊した。
草木はくちはてり、あらゆる生命は耐えた。
そして再び氷河期が地球に訪れたかのような静寂があたりをつつんだ。

アンダー「だれもいない!!なのもない!!これからどーなるのお??

チュンチュン・・・

テクノっち8「は!!夢か
ほんでこのトピ一体何がいいたいねん? 2006/ 9/ 2 21:36 [ No.47 / 227 ]

投稿者 :
primalschool34



もう夏も終わり秋である。結局このトピがいいたいことってなんなんだろう?ってゆーか何が言いたいんだ?つまり行き詰っている社会システムがあって、それが停滞している原因だと。最初の、「どこへ向かって走っていってたんだろう」のところはほぼ無視か。ようわからんポスト実存主義とかばっかり言って。そもそもあの頃どこへ向かって行ってたのか証明できるのかこのトピは??
できるんじゃないだろうかと信じてみた。小説家がよく、小説を書いている途中で登場人物が勝手に動き出すと言う、そんな風に自動的にトピックを進めていけば、何か答えはでるのではないか?そう思ってみたが・・・・。
実際浮き彫りになるのは停滞した社会システムであったりする。
でもこんな社会システムの今を作ったのは、96年頃の彼らなんだから。
じゃあ彼らが格差社会を生んだのか、ニートやフリーターを生んだのか、っつったらどうなんだろう。どーなんだろうな、96年頃には確かに新しい感覚は生まれてたような気がする、それこそ新新人類みたいなね。その感覚が反映して今のニートやフリーターといった職につかない、責任を持たない彼らが生まれたのか。
とゆーか、このトピは全てを越えた場所でなくてはいけないのに、越えてない。なるべく作業の最後にここを書くようにしてたんだけどね。
困ったな、つっこみも行き詰ってきた。外科手術もうまくいかない。
じゃあ社会は停滞しているのか?本当に。僕はどうも停滞しているように思える。しかし何かは少しづつ動いているはずだと思える。それがイライラする。
じゃあ結局お前は個人的なイライラに文句を言ってたのかといえば、そうです。何故なら、なんでそんなちょっとづつしか動かないで、こうズバッーっと動かないのか。見ていてイライラする。
っつーか、先日の山口県の殺人事件もそうゆう社会の動きの一環のような気がしてる。昔はああゆう事件が起きたら、ものすごい騒いでいたのに、もう誰も慣れてしまって、当たり前のようになってしまった。まあ別に騒ぎ立てるのもどうかと思うが。
なんで今の社会はこんなにゆっくり変化し続けているのか?
それは心の準備みたいなもんじゃないだろうか。911のテロのようにいきなり動くと動揺してしまうから。
じゃあこれからどのように社会は変わっていくのか。
物理的にはあんまかわんないんじゃないかと思う。建築物もある意味頂点に達したとも思える。とゆーか、そろえられるものは全部揃っているわけだから、もう発展はしないんじゃないかと思う。
とゆーか問題は、2YWの今後の動きである。2004年に完全消滅したはずなのに、まだある。あの不透明な感覚である。
しかしこのトピは一体何が言いたいのであろうか。
社会が停滞しているぞ!と言いたいのか、あの頃あそこへ向かっていたんだよといいたいのか、新しい思想があるよ、と言いたいのか。
全部言いたいんだろう。じゃあなんでテクノのカテゴリーにあるんだっつたら、一番しっくりくるから、とゆうか今までトピックを立ててきたから。
はじめのほうはテクノ関係あったのに、徐々に関係のない話に発展していって
現在にいたる。困ったもんだ・・・・。

正直言って今このトピは行き詰まりを感じている。
やったからには最後までちゃんとやらなくちゃいけないんだけど。
何かでかい壁にぶち当たってしまった感がある。
それは現在の社会がぶちあたっている壁かもしれない。
でもたぶんこのトピなら破れるだろう・・・と信じている。