強迫性症状+パニックにおける脳機能の考察01
最近の研究まとめです。
恐怖や不安。体験は処理されない場合、無意識下に常に潜むと考えられます。
体験の処理というのは、安定化したパーソナリティで判断、解決した場合だと考えます。
しかし、恐怖や不安の処理には、下の図の超自我に埋まっている、理性やモラルなどの
記憶と照合して解決(心の安堵を得る)場合のみ、安全な経験として海馬とかにストック
されていますが、超自我の理性やモラルと照合しても解決できない場合は
処理できないタスクとして記憶の奥底に残ります。
幼少期から青年期にかけて一番処理できない感情は生きる本能のリピドーで
それが解決できないと、コンプレックスとなり死の本能(破壊衝動)などと成り得ます。
エイディプスコンプレックスという言葉があります。
以下wikibのコピペになりますが
エディプスコンプレックス(独語:Oedipuskomplex,英語:Oedipus complex)は、ジークムント・フロイトが提示した概念である。男根期に生じ始める無意識的葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。
エディプスコンプレックスとは、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレントな心理の抑圧のことをいう。
フロイトは、この心理状況の中にみられる母親に対する近親相姦的欲望をギリシア悲劇の一つ『オイディプス』(エディプス王)になぞらえ、エディプスコンプレックスと呼んだ(『オイディプス』は知らなかったとはいえ、父王を殺し自分の母親と結婚したという物語である)。
といった簡単な説明ですが、こういう説も一時期はありました。
村上春樹の「海辺のカフカ」はこれをテーゼにしてあるともなんかで読みました。
この衝動が処理されない場合のことを考えると、超自我に埋め込まれた理性やモラルが
問題になってきます。つまり超自我を無意識から意識へ上げれば、簡単に解決できます!
どこかで読んだ話ですが、父親から性的虐待を受けた少女のカウンセリングをした時の話で
大人になってから、その虐待の記憶を思い出すと、「なんだ、オヤジはただのスケベだったんだ」
と解決できたとの話がアメリカであったそうです。
この図を見てください。
超自我には理性やモラルが詰まっていると述べましたが、これらの洗脳はいつつくられたのでしょう。
もちろん自我が形成される前です。
幼少期に一番受けた影響というのは、両親や、家族、宗教、TVの情報、先生や、幼い友達、へんなおっさんなど、子供にはまったく自分で判断することができないタメ、完全にその理性やモラル、宗教観を
植え付けようとした人物の影響を鵜呑みにしてしまいます。とくに、ハイパーラポールという、強い支配下におかれていた場合は、死にます。
ハイパーラポールという状況は、親しみのある、なおかつ心のゆるせる相手との場合に起きる
親密度のことをラポールといいますが、そのもっと強くなったのがハイパーラポールという
心理状態です。このとき受けた影響が、もしでたらめであったり、なにかとんちんかんであった場合
恐怖や不安の体験は処理されないまま常に心のなかに潜みます。
話をもとに戻すと、結果的に不安障害、パニック障害、強迫症状というのは
この解決できていない、脳の回路を通ってしまうタームがあった場合に起こると考えます。
その脳のシナプスの回路を通ってしまう時というのは、同じような状況に出くわした場合です。
たとえば、レイプをされた時に、相手がタバコをすっていたとすると、同じ臭いや
銘柄を連想させる状況において、脳の記憶の照合の時に、その回路を通ってしまいます。
その回路を通った場合に、その周辺にある恐怖や、不安などの未然に処理できていない感情が
表に現れてくると考えます。
解決方法として、もしパニックになった場合、その時の状況をよく把握して、
何がきっかけで恐怖がフィードバックをしたのか考えることです。
それで、もし思いあたる節があるのならば、その記憶から別の脳の中の楽しい記憶イメージと結びつけていきます。楽しいことだけを考えればいいだけです。
以上研究レポでした。
次はこのハイパーラポールにうめ込まれた記憶からゆとり世代に共通する洗脳を追求します!