ゆとり世代に共通する意識を追求する 04
1985年に発売された「ファミリーコンピューター」は爆発的に売れて、TVと同じく一家に一台
あるようなポジションに上り詰めました。初期のゲームソフトはマリオとかのアクションゲームやシューティングでしたがロールプレイングゲームRPGという種類のゲームがやがて発売されました。
自分の分身とも呼べるキャラクターを、TVの中で活躍させるゲームです。RPGを作った人を批判しているのではないのですが、初期のRPGは、糸井重里さんでも「家に帰ってやるのが楽しみ」
と言わせるほど中毒性があったのです。
みなさんも経験があると思いますが、ゲームに熱中して4.5時間やってとかあると思います。
それだけ集中して、そのTVゲームの中の世界観にどっぷりつかってしまうわけですから
もし、ゲームの内容が過激であったりすると、なにか事件があったときに問題にされたりたり
します。そしてゲームが終わっても、その世界観は現実でも続いているような感覚もみなさん
あるでしょうか。
まだまだ物心もついていない少年少女が、まっさらな純白の心の状態で
RPGなりのゲームをすればどうなるでしょう。
ゲームの世界だけに生きてしまうような世代ができあがってもおかしくもないでしょう。
RPG的ゲームでは、自分が世界の救世主になって、悪を倒しにいくという
ハリウッド映画そのまんまのような、わかりやすい世界観です。
そんなゲームをやっていたら、自分には未知の超越的な可能性があるのではないかと
思ってしまうのも、洗脳のひとつでしょう。
自分は特別。自分はこの世界の主人公。
もしあんまり学校のクラスにとけこめない少年A(KID A)がいたとします。
学校ではおとなしく、休み時間が苦痛でしかたなく、はやく家にかえって
ゲームをすることばかり考えています。
少年Aは家に帰るなり、部屋に閉じこもり、電脳のヴァーチャル世界で満足してしまいます。
次第に、おとなしくてあまり目立たなく、好きな女の子がいても、恥ずかしくて
話しかけられない、ゲームばっかりやっていたら、成績も落ちる、親にも怒られる。
さらにシャブ中のようにゲームの世界で恨みつらみを発散しようとする
一種のアディクション(依存形態)にはまりそうじゃないですか。
覚せい剤は、報酬の脳内物質ドーパミンを得て、快楽を得ます。その快楽をもとに様々な
恍惚とした体験を受け、まさに今、この世界は動いているとも感じた頃
効き目はなくなってきて、次第にこの世界が苦痛そのものでしかないというグノーシス的な
主体感にみまわれはじめ、覚せい剤をやれば=楽になる というアディクションが
誕生します。
次第にどんどん様々な快楽ゲームにいそしみ、果てはネット廃人か、それともマトリックスのような
脳だけの人間になって、試験官の中で暮らすのか。
ルサンチマンは、虐げられた人間には必ずあります。ルサンチマンは、「こんなひでえ目にあうのは
おめーらのせいだ」という他罰的な心理状態のことを言います。
キリスト教という宗教はルサンチマンを超越させて、神の恩恵を受ける宗教です。
現代では神がいないので、神はテレビの中や、ゲームの中に存在しています
ゆとり世代にも決してこういう環境で育ってない場合は、ゆとりのような感じにはならないですし
ゆとり世代でなくても、ルサンチマンの解決をゲームやネットでやっていると
この宇宙は=悪 ということはどこかに正しい宇宙があるはずだ、決して自分は悪くない
というニヒリズムにしか到達できないのです。
次回、ゆとり世代の意識の中にある宇宙を追求する!