もう一度小説「インストール」を思い出してみる。
綿矢りさの処女作「インストール」が話題になってから早10年たとうとする。初めて画像(すでにネットで情報を得ていた時代)を見たときの衝撃は色々とカオスだった。順に追って感情を整理すると、まず「かわいい」そして「さわりたい」そして「さみしい」であった。とにかく当時2002年、いままでの小説家の概念を覆すような、フォトレタッチ加工処理であった。
暗かった。確かに2002年はなんとも言えない暗闇の霧が、街を飲み込んでいるかのような、暗さだった。小泉元総理がブッシュ元大統領と居酒屋に行った、ってゆうことが印象に残り話題になるくらい、なにも希望が無い、手づかみで握り締める希望なんか、砂金のようにすりすりと零れ落ちていくようだった2002。
その中でぽつんと一人草原?なところでこちらを見ている彼女を見た時に、なんでなんだろう。なんでなんだ。希望なのか、虚無なのかどちらとも言えないものが一際目立っていた。
小説の中にでてくる少年は、とにかく高飛車なやろうだ。生意気。いやゆとり世代少年そのものだ。それまでそんな理系的な生意気な少年は、ラストシーンで妙に童心に戻る。
ネットオークションに「タイムマシン」が出品されてるよ、と言う。
実際タイムマシンが出品されてたこともあったので、綿矢はそれを言いたかった、わけではないだろう。綿矢の願いが最後に表れたような読後感だった。
もう一度男はロマンを持って夢を追い続けていてほしい。そう感じた。
この10年間でたぶん、2.3回はネット上にこのことを書き込んでいると思うが
あと5年くらいは書きたいね。携帯電話の発達は人類の孤独と。
フレッドダーストが、「俺を振った女ぜんぶ死んでしまえ~」といってたら、飛行機が
ビルに突っ込むし、その後はやけくそだし、おまけに草食に退化(深化?)しちまうし
男の可能性は、完全に限界効用だす親分。
けれども、もう一度タイムマシンみたいなアフォなノリを
横目で見ていたいんだろうなと思う。
素朴で清楚。