世界の終わり へ Se kai no Wo Wari
やっとこさ月のアスペクトが落ち着いたし、なんか気分がすっとできた。こういう内容を書くには世俗的なものから開放されないとむずかしいくて、気分的に。ずっとKIDAとか聞いたりしてたんだけども、まったくNOWIS2012年ですよ。
もしかしたら新月までいかないと無理か?と思ったけども。とりあえずサゲの力を借りて
やっとこさ石の家に住む異端児の岬まで着ました。
映画「モテキ」の煌びやかさに惑わされながらも
PC電源OFFって
宇多田ヒカルの「線」を読み始めた。
なんてゆうか、常にモテキもそうだけど、普遍的なものに人々は困惑しているんだよねえ。
宇多田ヒカルというパブリックイメージが完全に排除された眼で
というか、友達に似てるとこあるなぁとか思ってきたら
この宇多田ヒカルの「線」はやっぱり普通の女の子が世紀をまたぎ
書き綴った日記なんだねえ。
人類は様々な技術や知恵を手に入れて、金融資本主義や、サブカル男子など
生み出して、リアリティがなくなってしまったけど、
それらを逆に駆使することで、映画「モテキ」も半径1M以内のリアルから
パイレートオブマテリアルを見つける。
そう!なんにもかわっちゃいないんだぜ~。
宇多田ヒカルのDISTANCEを聞きながら、2001年4月のことを
よく思い出せた。
ハードボイルド21世紀の幕開け。
それは後々のことにして
どこまで話を進めたらいいんだっただろうか。
11月のことか・・・・・。
11月くらいになるともう寒いとまではいかないが、若干ジャケットは厚手になる。
GAPのパーカーがちょうどいい感じであるのだ。
色々わけがあって、8ヶ月間ほどインターネットに接続できなかったんだけど
この時からネットに接続しはじめ??たのだっけな。
とりあえず2ちゃんばっかり見てたんだっけな。
このころ、垂水分室にはけっこう人数が転入してきたり、わけあって
通信制になった子達があつまってきていた。
神戸市の須磨区に住む、戸田という拘置所に1週間はいってたとかいう
やつと友達になり
原付に2ケツで家まで遊びにいった。
そんとき見てた、須磨の街の夜景が、なんともいえない感じだった。
様々な家庭があり、その一個一個の家に、ドラマがあって、
今祝福されているような幸せな街のともし火に見えて
苦しくなってしまった。
RadioheadのNo Suprises
の最後になっているシンセストリングスを聞くと
あまりにも平和すぎて苦しくなるから、聞くのがいやだった。
11月は、いたっていつも平和な感じなのかな。
忘れてしまった・・・・・。
つづく