変なおじさんの役割
自民党の衆議院議員・小池百合子議員は「政治家には大物政治家と、そうでない政治家がいる」
と語っていた。同じ政治家という土俵にいるだけで、政治家に成ることが目的の議員と、そうではないもっと大きな目標をもつ議員では、大物と小物と峻別がつくくらい違ってくる。
同じようなことで、ただのおっさんも大物のおっさんと、そうではないおっさんがいる。
アダムスミス「国富論」で成された「分業」というシステムは
見えない社会構成員にも当てはまる。
それはもっとミクロでの村社会でも同じだ。
近所のおばさんには、世話役のひとがいたり、ただのミーハーおばさんだったり
人それぞれが、役割を自分で感じ取って、演じている。
コンビニの店員も、コンビにの店員の人がこの世界にいる のではなくて
コンビニの店員の、役をやっている 人 がいるのだ。
舞台でそれぞれが役をやって、最大の効果が発揮された場合に起こる「パレード最適化」
これをやっていかなければ、いけない。
その中でも、「変なおじさん」という役があります。
その役割は花咲さじいさんのように、絶望から希望の種を撒ける人なのです。