すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

死体について

日本のTVでは死体を放送してはいけないらしい。なので海外のブロードキャストを見ると
普通にTVで死体が写ったりする。はじめは違和感しかない。なんだこれはと思う。

英語で死体のことを「Body」と呼んでいる。ボディ、胴体、いれもの。

つまり英語圏では、死んだ人間は、もの、木のぼくとうと同じものなのだ。

死体か死体ではない(存在しない)の境目はなにであろう。
人間が生きているか、生きていない(存在していない)の境界線は
感情があるかないかではないかなと、ハトをみて最近思う。

生きているか、これは人間であるかの判断であるけど
他者に人間的感情が伝達し交換し合えるのか。
例えば、長らく研究されてきた人工知能で、プログラムが自我をもち
自分の存在を確かめるという回路ができたとき
そこに、「生命」を感じるのか??

「2001年宇宙の旅」という映画で、
スーパーコンピューターHALシリーズは暴走する
デイブはそのHALを「Muder]しなくてはいけなかった
そのときHALはこう言った
「Dave.... I'm afraid....」
デイブ、死ぬのが怖いよ・・・とコンピューターが言った(表象)した。
これは人間自体がさびしいからじゃないのか
かわいいやつだ
木星までいってもさみしいのか。


生きているか、この世界ははじめからもともと存在しないのか
それともア・プリオリな真理として、宇宙は存在するのか。



死体は、人間ではない。
死は穢れたものだ、という日本古来の風習がある。死や血は汚いものだ。
死を生活から除外し、血を恐れ、神々を恐れ、
死を恐れた。
死を。
その結果が、こういった事態を引き起こした。
毎日人は死んでいるし、この地球上が誕生してから100兆人くらい死んでいるのに
もかかわらずにだ!
鳥がさえずり、飛ぶのと何も変わらないこと
それを恐れて、あがめ、そして神格化し、穢れたものに祭り上げることが
はなはだおかしいと思う。
それは突然やってくる。
人間は簡単に死ぬので、というか鳥がさえずり、太陽が昇ると同じことなので

急に隣にいる人間が、人間ではなく、ものになってしまうことがある。
つまり、人間ではないということは、その過去に人間座っていたイスや、その風景と
「おなじもの」
になるのだ。一瞬で。
そのとき、横にいた人間は、どう思うのか。次はおれかと思う。
交通事故などが起きたときや、何か重要なサードインパクトににたような
気色の悪さがのこる。
その気色の悪さは、今生きている人間の統合的統覚そのものであろう。
それがこのTVで見た死体の違和感であろう。