2000年
2000年
小節レフトビハインドの内容は、
2000年になって天国へいっていない、僕達、私たちで戦争しなければいけない
ということは、今生きている意味などない!
そういうことになる。
しかし、この西側諸国の基準から別の基準で考えると
この意味はなくなる。
英語で意味というニホンゴを調べると
機能性という可能性もあります。
人は何かしら他人の行動に大して意味性を気にします。
駅のホームでなにか怪しげな行動をしている人
駅のホームで酒を手に持ち叫び殺す人。
人々は、往々にここに意味を見出したいのです。
もし意味がない場合、その行動は、行動していない、その背景になりかねない
つまり、その人物でさえ、存在しない可能性もでてきます。
うわ~あのひと今ひとりごといってるよ~
たのむよ~ひとりごとじゃないよね~
あ、なんだ、ハンズフリーで話しているのか。
とゆう経験はありますよね。
では、なぜこの場合、ひとりごとをいってる、場合
不安なのですか。
ひとりごとには、意味や、機能性はない
という暗黙の了解を日々無意識に感じているのです。
たぶん、ハイデカーや、
この世界に、意味をつくりだし、この世界がさも意味があるかのように
思わせた、
しかしニーチェは言う、意味は無い
究極にニヒリズム