だいたいである。
2003年の何月号か忘れたけど、もしかすると9月号かな。。
そこでKIDA後のやさぐれたレディオヘッドがインタビュー受けているのですね。
そこでベースのエドが「実存」ということキーワードを発したんですね。
実存ってゆうことばあんまり見受けられないですけど、もともとニホンゴにはないので
無理やり作ったそうです。
実際、2013年になっても使ってるやついないし
意味が伝達できていない。現実存在を、省略して実存らしいのですが
現実存在ってニホンゴは、なんですか?????
そもそも存在というニホンゴもなかったそうです(笑明治にあわてて作られた造語らしい。
そりゃ意味がわからんわ
まその、エドの実存という言葉にひっかかって、
実存をぐぐってみたりしたのですが
まったくわかんなくて、
とりあえずサルトルがでてくるんですけども
サルトルの「実存は本質に先立つ、ヒューマニュズムだ!」
これは、サルトルとジャーナリストが打ち立てた流行だったそうです
実存主義の本質をとらえてないキャッチコピーですが
ここから早、10年。
「そうか!ぜんぶ適当か!」
とわかってきた。
ポスト構造主義ってどんなの?わくわく?ミッシェルフーコーってポストなの?
テックハウスとか、スピードガラージと同じ感じで
勝手にジャーナリズムが命名した類のものでした。
その間、ポスト実存主義はシンプルアンドクリーンだ!
ということできました。
シンプルアンドクリーンは、現象学みたいなかんじですか
そこではない。
認識論、存在論、とかではない!
なぜ存在してるの?も大事だが
問題は
2000年に、「KIDA]が発売されたこと。
まるで凍った炎があるかのようです。
存在論は、なぜ存在は、存在してあるのか。ってゆう感じです
それをいいはじめると、あれなんで
まず、宗教的な、認識から、今の現代社会の、このパソコンの存在の機能とか
イスの機能性とか、きみとぼくの関係性を
考えないといけないっぽい