すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

草稿

皆やりたくもないことをやらされている

自分の本当にやりたいこととは違うことをやっている。

本当は働きたくもないし、遊んで暮らしたいところだが

金銭に困り、コンビニの店員のバイトをやってしまった山田さん。

そして「買いたいものは何もないし、何なのかもわからない」けど

コンビニに入店した恵子さん。

この時間だけに注目すると、

プログラム「コンビニ」という演目が始まっている。

コミュニケーションの総体である社会を保持するには

山田さんは、主体である山田という人格を捨て、コンビニの店員という役を

やらなければ、社会は保てない。

恵子さんも、客という役を演じなくてはいけない。

社会を保持する必要性がないと感じるならば、山田さんはその場から逃げ出し

自然状態の山田に戻ることも可能である。

恵子さんも、別に用もなくコンビニにはいったわけでもなく

コンビニしかないので、仕方なくはいった次第だ。

別の方法で、その用を足せるのであれば、選択することでコンビニの客という役を

排除できる可能性があった。

しかし、それ以外の選択肢が、思いつかない、無いかもしれない、あるかもしれない。

できれば、各個人おのおのが本当にやりたい機能を存分にはっきし、

効用を満たすことが期待される。

犯罪者も、キチガイ的な人物も、自然状態では自然の人間であるが

犯罪者も社会を保持するために犯罪者の役をやっている。

好き好んで犯罪を犯す場合は別だろうけども。

社会全体は、信頼で成り立っている。

コンビニ店員の接客が、ものすげえ適当だった場合、そのコンビニ自体の信頼が損なわれるだろう。コンビニの客も、客としての行動にある程度マーケティングで信頼を帯びているので

客は客以外ではないと信頼できる(客以外に店舗にくるやつは何がいるのだろう

個人個人のお互いが、ある一定の領域を信頼しあう、相互に依存することでしか

社会は成り立たない????

社会はコミュニケーションできる総体だからだ。

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