草稿
皆やりたくもないことをやらされている
自分の本当にやりたいこととは違うことをやっている。
本当は働きたくもないし、遊んで暮らしたいところだが
金銭に困り、コンビニの店員のバイトをやってしまった山田さん。
そして「買いたいものは何もないし、何なのかもわからない」けど
コンビニに入店した恵子さん。
この時間だけに注目すると、
プログラム「コンビニ」という演目が始まっている。
コミュニケーションの総体である社会を保持するには
山田さんは、主体である山田という人格を捨て、コンビニの店員という役を
やらなければ、社会は保てない。
恵子さんも、客という役を演じなくてはいけない。
社会を保持する必要性がないと感じるならば、山田さんはその場から逃げ出し
自然状態の山田に戻ることも可能である。
恵子さんも、別に用もなくコンビニにはいったわけでもなく
コンビニしかないので、仕方なくはいった次第だ。
別の方法で、その用を足せるのであれば、選択することでコンビニの客という役を
排除できる可能性があった。
しかし、それ以外の選択肢が、思いつかない、無いかもしれない、あるかもしれない。
できれば、各個人おのおのが本当にやりたい機能を存分にはっきし、
効用を満たすことが期待される。
犯罪者も、キチガイ的な人物も、自然状態では自然の人間であるが
犯罪者も社会を保持するために犯罪者の役をやっている。
好き好んで犯罪を犯す場合は別だろうけども。
社会全体は、信頼で成り立っている。
コンビニ店員の接客が、ものすげえ適当だった場合、そのコンビニ自体の信頼が損なわれるだろう。コンビニの客も、客としての行動にある程度マーケティングで信頼を帯びているので
客は客以外ではないと信頼できる(客以外に店舗にくるやつは何がいるのだろう
個人個人のお互いが、ある一定の領域を信頼しあう、相互に依存することでしか
社会は成り立たない????
社会はコミュニケーションできる総体だからだ。
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