すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

社会的共通資本の消耗、ヘーゲル的普遍的資産は体力みたいに減っている。かもしれないから今日も唄を歌おう

商品の満足

私達が満足する商品を効用があるといいます。しかしこの効用も限界があります。例えば、二郎ラーメンがスキなクソサブカル野郎がいるとして、二郎ラーメンが食べたいとなって二郎ラーメンを食います。確実にうまいので効用があることになり、欲求は満足されます。しかし2杯目喰うと、急激におなかいっぱいでそれまであった欲求はどんどんなくなっていくし、満足感もなくなってしまい、それどころか二郎ラーメンに対するあなたの中の価値もなくなってしまいます。これを限界効用、限界効用逓減の法則といいます。

労働による資産

しかし、この二郎ラーメンは誰かの労働によって普遍的資産となっているのです。誰かが働いて、つうか結構な数の人間が、製麺をやったり、生きた豚をぶち殺して肉してチャーシューとして商品化したり、二郎ラーメンという資産価値を作るには様々な人間が働いて作らなければならない相互依存状態にあります。これは分業によって簡単に二郎ラーメンを抽象化して手法や手段をマニュアル化したおかげでかわりにロボットが作れるくらい制度化したものですが、これは私達の普遍的資産です。もしこの二郎ラーメン普遍的資産がなくなったら、あなたは二郎ラーメンではなくて天下一品ラーメンで我慢しなくてはいけなくなるのです。いやでしょう。

貧困対策

そこで、貧困に陥っている人にこの二郎ラーメンをつくるシゴトを提供してあげればいいのです。そうすれば貧困から立ち直り、二郎ラーメンも食える。そうすると、貧困対策に二郎ラーメンに就職して解決するというパターンが流行ってしまいます。こうして腐る数ほどの二郎ラーメンが生産されることになり、二郎ラーメンを食える人間が働いてる人間が3ハイくらいくっても世界中にありに余ってしまうことになってしまいます。二郎ラーメンの価値を大幅に落とすことになります。これを二郎ラーメンのインフレ気味、供給過剰で市場のデフレになります。これが現在、日本が十分にモノがありうれていて富んでいるはずなのに、貧しいという普遍的資産は一切増えてないのがよくわかります。この普遍的資産は物質的な富の量などではなく、社会的共通資本としての公共的要素の強い代物です。公共的な普遍的資産ですが、ヘーゲルは普遍的資産は永続的に食いっぱぐれない家族が安心できることが条件になると言っていたような気がします(なにせ200年以上も前なんで汗

REITによる都市開発デリバティブ商品化の残基

さきほどの二郎ラーメンですが、二郎ラーメンを食って満足できることが普遍的資産であり、ニセ二郎ラーメンではだめなのです。もしニセ二郎ラーメンであると満足できないので、普遍的資産になりません。しかしREITデリバティブ化した金融商品となった二郎ラーメンになると、ニセ二郎ラーメンで人々が満足してもらえると考えます。しかしそれはニセなので満足できないのです。しかしREITのテナントは稼働率を上げるために、とにかくニセ二郎ラーメンばっかり作りやがって、しまいには本物の二郎ラーメンすら空洞化させてしまうことになり、結果的に、普遍的資産、及び社会的共通資本がひとつ減ってしまいます。

意味と記号の乖離

こんな感じで満足できないような社会になっていってしまいます。私達は満足できないし、欲求すらでなくなりますが、一応金は払っているので、営業利益は出るでしょう。しかし本来の満足できる効用の3分の1くらいしかないのです。これでは金額と内容が釣り合ってません。なのに、実際に現場を見ないでテナントばっかりみていると、不思議ワールドへ誘われてしまいます。これがあらゆる分野で金融商品化しているのが現状です。資産はどんどん消耗しており、労働によって満足できない人々が多数生まれ、代わりに特殊的人格であるある少数の金持ちだけが富(資産ではない)を生産しているだけです。勿論、金持ちだけが富を生産すればするほど、それに見合った資産はなくなります。

社会的共通資本としてのインターネットとクラブ

私達の社会の資産としての普遍的資産、私達が得た富で作り上げた普遍的資産は、物だけではなく、財サービス、都市インフラ、なんか落ち着くカフェ、間違いないのないイベント、間違いのない帰り道のショートカットなどにも当てはまります。普遍的資産をこうやって自分のショートカット的なものとして占有している場合は特殊的資産ですが、利益しか見えない金融商品野郎は、ぶっこわしっちゃいます。ああ!あのカフェ、落ち着くから鉄板だったんだが!ってのを簡単に当たり障りのないカフェに変えてしまいます(米メダ珈琲とは言ってないよ)。こうやって、どんどん鉄板を金融商品にしていくのが金融商品野郎です。金融商品野郎は知らないのです。大学でMBAしか勉強してないのでしょうがない。この場合被害にあってると思ってもしょうがないでしょう。これを外部不経済で社会的費用と呼ぶかもしれません。見えない費用は、本来そのクソテナントを作った野郎だけが払えばいいのですが、普遍的資産を失った我々にも費用として発生します。落ち着く鉄板カフェの代替えを用意しなければいけないなどの費用です。

地方創生は植民地政策

そして普遍的資産にも成り得ないものを、職業訓練としたりすることで、手作りのパンや地方創生のハンバーガー、地方創生のマルシェなど、なんの価値もないものばっかりで貧困対策として生計をそれで立てるようにするけど、結局ムリでしょう。この政策の最大の解決は植民地政策にしかなりえないからです。そんなもん誰もいらないものを国内で需要がないので国外へ輸出することで、価値がうまれ、生計を立てていることができるでしょう。アフリカの黒人が、地方創生でうまれたハンバーガーを食べることでしかこの政策の解決ならない、しかもそれが救済手段にもならない。

資本?機能

さらに普遍的資産の内には、つまり社会的共通資本のうちには、教会機能があったものがあったはずです。それがインターネットとクラブです。普遍的資産及び社会的共通資本を形式化して機能に注目をおくばあい、社会システムの中で機能として役割を果たしているものです。なんか落ち着くカフェはカフェ機能です。カフェ機能はホームレスが100円のコー匕ーで一夜を過ごすことができるみたいな機能です。