|希望的観測認知的不協和不確実性:道徳感情が線形を生む理論
理論とかいってるけど、なんの論理体系もないからね。
日記だし。
感情センチメントで構成される言語プログラム界(象徴界)は、宇宙である。それは平行宇宙である。独立したもので、他者はこのお互いの宇宙と関わることができない。この宇宙をコギトの宇宙とでも言おうか。
同じ感情を共感することで象徴界の存在確率が増していく
ボケた老人、介護が必要な人類の原罪みたいなのを背負った認知症という中世のペストのような病気は、実際、風邪などの象徴界の存在は、この象徴界に存在としてあるともないともいえない重ね合わせの状態である。
感情の共感がコギトの宇宙をつなぎ合わせ、認知症のボケ老人という神や愛、そして希望や月、太陽、そして国民統合の象徴天皇のような、象徴的存在、象徴界の存在を同時に観測できるのだ。
みたいな日でした今日は。
道徳モラルと感情センチメント
で、センチメントは言語プログラムに根付いているというのは、ノーム・チョムスキーの普遍文法が、「たぶん」そうだから。
たぶんね
しかしモラルってのは、ヘーゲルでは倫理とかから発展していた
モラルは、これはなに?センチメントは理性誤謬を起こすのはモラルは知性?理性?
死ぬことは代わりはない死ぬまでにモラルが何をするのか。
しょうじき何をやっても意味はないのであるが。モラルセンチメントが何故線形的な判断をするのか。理性の誤謬を招くのか。
理性reasonと感情sentiment
感性はsencivityでこれは感覚器である。しかし、ニューラルネットワークでおいて、すべての入力である。しかし翻訳は、それは