|社会的共通資本:太陽を購入した場合 ver.104
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商品は貨幣と交換できるのは価値をどちらも保存しているからである。商品であるこのTシャツ
には何故価値があるのかと言えば、かっこいいからだ。かっこいい=価値があるわけだ。かっこいいものを欲しいというときは、マネーと使ってペイ!するわけだけども、このマネーにも価値があるのは決してカッコイイからではなく価値があると思い込んでいるだけである。
社会的共通資本としての太陽
さてそこで、5000兆円を使って太陽を購入しようとする場合である。無理である。何故だ?全て金で買えるわけではない。もし個人が太陽をメルカリで購入して自分の好きなように配置を変えたり、水をかけたりして消滅させたりすると、地球に住む人類は全て死んでしまうので、5000兆円なんかどうでもいいから必ず阻止するだろう。
だから太陽はお金で購入できないのだ。もし仮に太陽を売り出した場合、誰が売り出すだろうか。まず太陽の所有者は誰なのか。もし仮にメルカリに太陽5000Billion$By神ってあった場合、これは神の意思で売り出したのだという意味だ。だからいくら大英帝国でも太陽は購入できなかった。もともと所有者がいないのもある。
それと同じような感じで、社会システムには、教会機能や、公園機能、公カフェ機能などがある。これはさきほどの太陽と同じく5000兆円でメルカリで買って私個人が勝手に使用すると社会システム全体が崩壊し、最終的には太陽が破壊され、全人類はおろか地球全体の生きとし生ける物全ての森羅万象が死滅してしまう。
これは冷戦下での核軍縮やはじめての国際戦争勃発後に締結されたウェストファリア条約でも同じような趣がある、公共哲学のようなものだ。これを公共圏とかぬかしよる。公共圏はヘーゲルからもすでにあるらしい。
社会システム論での公共財(社会的共通資本)
存在が存在するにはアプリオリに時間と空間がひつようなように、社会が存在し機能するにはアプリオリに必要な資材が社会的共通資本になる。
商品と商品にならない物
商品にならないものが太陽だった。ということは商品になれないならないものが社会的共通資本なのでないだろうかと考えよう。愛。愛は金で買えるか?もしメルカリで愛を5000兆円で購入してみよう。誰の愛なのだ?所有者がいない。もし仮に愛5000兆円BY神だったら、これは神の愛であるし。あの子の愛だとすると、その愛を購入した場合、無条件でまるで薬物中毒の廃人のように愛してくれるわけだ。ただしたぶん不完全性定理を逆に使うのですべての言語が使えないとかのリスクが発生する。
カフェとかは、逆にこれはおもいっきり会社や企業やおっさんがオーナーだったりするわけだが、カフェには公の機能の趣が強いカフェとそうでないカフェもあるがおおよそ公のものだ。だけどカフェはいくらでもあるから公の機能は、どこでも代替えできる。
カフェは社会に何故必要なのか
カフェといえばスタバとかそういうのだろ。しかしこういったチェーン店のカフェができる以前はカフェはどういった形態のものだったのだろうか。今から5000年前のカフェは創造できるだろうか。カフェ自体は