すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

家族機能:中間全体主義における各class属性の機能のなにか(ほぼ落書き

編集部よりコメント

まったくもって頓挫下書き

 

創価学会の会館に行ったことがありますが最終的に仏教の議論になって日本は仏教ではないと1時間くらい熱い議論をして創価学会に入ることを人生で通産5回目くらい断りました。でもこの日は創価学会の会館で創価学会の普通の宗教団体の姿が見れました。正直、むかしの市町村区の公民館で町祭りや真言宗などの地域の夏祭りのような老若男女、いろんな職業の人たちが抽象度でいう宗教上位システムによって包摂されてその場に集っていて、そのあとお茶菓子がでてきてほんとに昔あったような公民館の地域まつりみたいな感じでした。これがヘーゲルのいう愛で結ばれる家族を包摂する市民社会の項なのでしょう。

エホバの証人の会館もいったことありますし、キリスト教も空気は若干違うものの社会システム論でいう上部システムといった感じです。

ってゆうか世界的に宗教は重要ですし、まいいか

インターネットやクラブの機能

ということでインターネットとかクラブ、もしくはカフェ、とかでは

職業関係なく、楽しく接することができるわけです。

ヘーゲルは職業団体つまり同じ職業だけのあつまりだけではあんまりあれなかんじって言ってましたけど、中世のギルドはちょっと違っていた、みたいな。ことかいてます。

法哲学では、この上に国家をかぶせて最終的に国家が戦争して資本主義の禍の本質からどうにもできないっすみたいな結論に至ってしまっています。これはマルクスの指摘で、国家かぶせただけやんけ!没神的やぞ!もっと個別的を大事にするんだ、愛という特殊、変性パターン生成を大事にしろ!とか。

このあと怒涛の展開が!!!!