音楽連続:エモーションHEY! ver1/0032
時間について
カント純粋理性批判中山元訳で時間について書かれている部分を引用する。
(一)時間は何らかの経験から引きだされてきた経験的な概念ではない。時間という像[=表象]がアプリオリなものとして土台となっていなければ、同時存在ということも、継起的な存在ということも、まったく知覚できないはずである。このような時間という像を前提としなければ、いくつかの事物が同じ時点において(同時に)存在することも、異なる時点において(継起して)存在することも、心に思
055 時間の必然性 (二)時間はすべての直観において土台として利用される必然的な像である。さまざまな現象を時間から外して考えることはできるが、現象一般から時間そのものを取り去ることはできない。だから時間はアプリオリに与えられているのである。さまざまな現象が現実性をもつのは、時間においてのみ可能なことである。さまざまな現象はすべて取りのぞくことができるが、時間そのものは(現象を可能にする一般的な条件として)、取りのぞくことはできない。
オレはカントの小難しい言い回しなど英文でも読んで同じように回りくどい言い方しているので、こいつは回りくどいぜ!と腹をくくったのでカントの文章には慣れているがはじめて読む人々には若干とっかかりにくい部分はある。とにかくカントがいいたいことは時間は無いとだめだよってことだ。あたりまえだが。とりあえず物事を考える上で時間がなかったら何も考えられないのだ。
音楽の時間の必然性
C音が鳴っているとする。C音の確認をした後、その後E音が発生すると楽しい感じになるが、半音下がったフラットE音が発生すると、悲しい気分になる。この時、時間は必然性がある。
非言語への触発
この時に感情は揺れ動くが。何故だろう。直接C音とE音にはこのようにC音と書いて認識しているが、C音とE音の連続性が認められることで悲しい気分になることに関しては説明ができない。これには無条件にC音のあとにE音が連続すると悲しい気分になるという前提は無いし、誰も言語化して説明できないのだ。
グラフでみる感情の動き
簡単にグラフにすると
楽しいという感情は
これが楽しいという感情なのだ。
なんだかやるせなくないだろうか。どうみてもこれは楽しくない。
他の言語での代入
なにもこれはC音とEに限ったわけではない。上の関係性があればCの代わりが別の物でもいいのだ。
だから中山くんの通ったあとに山下くんが通ると楽しくなり、中山くんのあとに雨が降ると悲しくなる。でもいけるのだ。
これが音楽が他の現象にも通じる原理として働く証明になる。
音楽集合からの所与の説明
時空連続体に臨場感を味わっている状態、変性意識状態であり、なおかつ、差異があり、別の素材エレメントを持った集合シークエンスパターンがぶちこまれている状態
http://bedroomtourist.hatenablog.com/entry/2017/05/04/142926
この公理でなぜか半年も頓挫してしまった。
ここで重要なのは、この感情の働きが別のシークエンスでも働くということだ。
C音とE音の関係性を保持する場合、感情が働くのであればこれが