すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

KIDAについて

正直に書こう。このさい2005年だ。ミレニアムから5年もたっている。
もう書いてもいいころだし。
所詮音楽の話だ。しかし音楽、POPミュージックをなめてはいけない。
あらゆるところで音楽は必要とされ、社会に浸透している。
たとえば結婚式にかける音楽はかならず必要だったり
必要性は確かではないのに、そのとき必ず音楽は必要になる。
何故だろう、人々がこの2000年間の間、いやもっと
太古の昔から語り継がれてきている古くからあるうた。
たとえばアンデスに代々つたわってきた歌。
所詮、たかが音楽だ。
しかしポップミュージックとは密接に時代と共鳴している。
音楽はアートかとゆう議論は陳腐だけど、もしアートなのであれば
そのときの音楽を聴けば、どうゆう時代で、どうゆう空気なのかがわかる。
 
もういいんじゃない?KIDAについてぶっちゃけるよ。
俺は別にたいしたことのない人間。だけどKIDAがどうやってできたのか
わかる。だいたいのミュージシャンならわかっているはずだよ?
なんで皆口にしなくなったのかな。おかしい。避けている。
 
まず2000年になって音楽なんてどうでもよくなった。
つくってても楽しくないし、どうでもいいし、生きててもどうでもよかったし
厭世的な感情が漂っていた。
それは世界中の人間がそうだった。
だからこそポップミュージックにそれは反映された。
KIDAはポップスなのだ。あれが2000年のポップミュージック。
考えただけでおかしい話だけど
あのころのアメリカでは、無理やりそれまでの、90年代以前の
ポップスにこだわった。もういい曲がかけなくなってしまったのが
恐ろしかったからだろう。
 
KIDAの作り方はこうだ。未来なんてない。そう思えばいい。
いや、今の状況を完全に理解することだ。
21世紀になって、それ以上の夢を、何の夢を見ればいい?
 
そう思えば、ポップスなんて適当に作ってしまってもかまわない
なんでもありだ。
山崎洋一郎や、田中宗一郎渋谷陽一は知っている。
KIDAを前提に今のポップミュージックを考えければいけないことを。
しかし、山のように新譜は発売され、それに対してコメントを
つけ、そして商売しなければいけない。偽のスタンダードを作り出すことに
なる。
そう、今聞いてる音楽なんて全部嘘だ。
嘘の感情だ。まるでコンピューターが作り出した
感情とゆうプログラム。
 
ここまで書いてもういやになってきた。
これ以上書くと頭がおかしくなってきそう
いや、疲れてきた。あぁ疲れた。もう毎日が疲れる。
朝になれば今日のスタート、
どんなに朝を拒んでも、朝がくる
あぁ疲れるなぁ。