ストレートネックで首ガッチガチやぞ!(くやしーです!(仮)

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.03くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

選択が可能という可能性の信頼性

決して言葉遊びではありません。物事をややこしくさせて愉悦に浸るような愉快犯的な感じでもない。抽象化イメージを言葉にすると、関数を数字で表示できるように日本語言語に表現するとこのような意味不明な題名になる。これは怒りだ。神への怒りなのだ。
 
 選択前提とは
 以前にここでも紹介しました。選択することができる、ということで自由になるどころか不自由になってしまうという社会システム論の用語でしたね。ステレオタイプなアフリカ人原住民はiPhoneについて悩みや所持したいという欲望を持ちません。知らないからです。知らない場合、世界に無いのと同じです!そして、もしアフリカ原住民がそのIphoneの存在を知ったとしても、生活空間において道具として必要ないので、もし知ったとしても意味がないので平気です!!
 だけども、原住民の村での会話がすべてiPhoneを使用した状態が可能になった場合の話ですが、この場合において、iPhoneを所持していないことで不自由が生まれるのです。

とゆうわけで、選択前提は非常に他者との関わりの中において不満や不安を生み出します。

では皆さん、ここにニートがいるとします。ニートという前提は、だらしのない、ハルマゲドン前の人類そのもののような邪悪な畏敬存在です。これはあなたの脳内を参照したわけでありませんし、社会システムにおいて社会規範や、社会通念、常識の構造から安易にイメージがすることが可能になりました。このことを前提といいましょう。暗黙の了解という言葉が存在するのと比重的には同等。

あなたは今ニートを目の前にして、何を考えますか。
できれば、ニートだと認識した時に、はやく現実世界にいるニートが本当にニートかどうか観察したくなりませんか。
もし、そこのニートが、ローマ法王だとしても、ニートと一度認識すると、ニートの文脈でしか脳が観察しなくなりそうです。
このローマ法王は普通に歩いています。しかしニート前提という抽象化イメージから参照できる信頼できる可能な認識パターンは
ニートが歩くときは猫背でうつむき加減です。ローマ法王の歩行と、社会一般システムの抽象化イメージから参照できるのは
ニートが行うだろうと予測できる範囲ないでしか脳内で認識できなくなってしまちゃってるんですぽよ。
もそこでローマ法王ローマ法王しか使えないクレジットカードを取り出したとしてもニートの抽象化イメージからすると、それは
遊戯王のカードに思えてしまうかもしれません。