すべての男は消耗品として付加価値税である。

testだんかいでえす 現在TEST段階は1.00.14くらいゴールがどこかわからなくなってきているので3年くらいTESTかも笑

唯識とカントのアプリオリ性

今日は普通に思ったことを書く。

仏教ではこの世界の森羅万象あらゆるもの自分の存在アートマンも含めて全て心が作り出したモノだとゆう唯識の考えが本当は真の日本には伝わっていない教義であり、空や縁起という概念も日本には最澄空海は伝えていない。

この唯識はめちゃくちゃ難しいし、悟りを開く修行をいくらしても絶対に会得できるようなものではなく、どちらかと言えば死に近いもので、普通の人間であれば気が狂って一旦戻ったとしても普通の社会生活を送るには中々難しいものだ。

 社会学の父とゆわれるマックスウェーバーですら統合失調症になったくらいで済んだけど、ナッシュ均衡のナッシュは統合失調シンセサイズが狂ってポアンカレ予想のように虚数に魂を抜かれそうになったし、不完全性定理ゲーテルは、死ぬ最後は出された食べ物に毒が入っているんじゃないかとゆう可能性をぬぐいきれなくなり、最後は死んでしまった。

  

 今から300年前の18世紀にドイツの官僚であり哲学者のカントとゆう人が、純粋理性批判とゆうセンセーショナルなレビューを大衆に向けて発表した。

この中ででてくる言葉にアプリオリ性とゆうものがあり、日本語訳では先駆性とも訳されているが、この意味はこの宇宙が始まる前からあらかじめ決まっていたようなものである、とゆう感じのニュアンスになる。

 産まれる前に自分の意思で産まれた人間は河童意外にはいないとされているが、産まれる前にこの全宇宙の構造体、構造しくみ、赤色が何故赤色なのかといった必要性など、それらがアプリオリであるといった簡単に言うとそういう意味であると言う。

 

先はどの唯識と組み合わせるとなるほど面白い。この世の全てが心が作り出したものであれば、その心を動かした別のアプリオリな存在が無いと何故心が動いたのか、必然性が無かったりする?

 カントの哲学では心を魂ゼーレと呼び、魂が何かに触発され、感性がそれを受け止め、さらに知性(悟性)がそれを分析し、理性がそれを判断する。

 例えば少年期の声変わりなどがわかりやすい。

少年期にとって、声変わりといった魂に何の必然性もない要素がアプリオリ性をもって、自分の心とは無関係な形で自己に降り注ぐ。

父を殺す神話と繋がるのうなづける。