ニーチェキルコゲールからの復活

あるおっさんが道路でずっと何かを観察して計算機を叩いていたとする。
そこでそのおっさんに何をしているの?何か意味あるの?と聞いたら
「いやなにも意味はないんだけどね」
と言われたら、なんかすごくゾっとするような恐怖を覚えるだろう・・・

ではたして、何故この社会で意味や機能だけを求められているのだろうか。
そして何故意味がないことに不安を覚えて恐怖を覚えるのだろうか・・・・。
やはり社会全体を構築している関数のプログラムの一部が「意味」であるからに違いない。
社会はコミュニケーションができるのが共通前提だったら
共通に意味がないと社会がシステムとして構築できないのかもしれない。

社会システム論ではそんなところまで考えつくしている、正気ではない学問です。


結局ニヒリズムしか生まないキリスト教は、最終的にニーチェニヒリズムの極地へ誘惑した。
キリスト教の価値観からすべて抜け出すことによって掴み取る実存。今のこの自分。
サルトルが茶を濁した実存主義の21世紀バージョンともいえる、いやニーチェなどの延長線上にあったものを
掴み取る。

「空」を感じることは難しいと思う。
僕も「空」を感じているのか実際よくわからない。

ただ、社会を構築する全てのプログラムの関数の機能や意味は簡単に無くすことは修行で可能になった。
これはもはや修行に近いんだが、
たとえば、簡単なところから始めてみると「iPhone」
iPhoneの意味がまったくなくなることは多々あるだろう。
簡単なことで電力がなくなってしまったら、ただのレアアースの塊だ。
これでイノシシでも殺すことはできるが鋭利でもない。価値はない。
価値は実存の時に生まれるのだ。
ではiPhoneで何の意味を掴み取る気だったのかね?
iPhoneを持つことで何か、人類としての希少価値でも高めようと思ったのかきみは。

ではたとえば、きみがいみ食べたいと思った、「ハンバーグ定食」
きみはおなかがすいた ことを高度化して「ハンバーグ定食」しか食べたくないと、洗脳されている。
何故だがわかるか?
きみはハンバーグ定食を食べておいしいと思ったからだ!!
そんなのすべて嘘だ!!プログラムにしかすぎない
早くザイオンに帰ってくるんだ!!!!
ネオ!!!!!!!!!!!


上の文章はガイジンのジョンが途中から書いたのでぶっ飛んだしまいましたが面白かったので掲載しちゃい まうす。