限定合理性:人格の線形2次元配列 ver1.00.03
カントは純粋理性批判原理論でこう言っています。
家は多面であることは、原理的にわかるよね。
これが人格になると人格も多面的であると原理的でしょうか。
ここに田中さんの人格のクラス配列をつくりました
田中{4x,19y,12p
19y,2n,3n }
これが普段認識している田中さんという人格の変数です。
限定合理性が働くのは、これらが時間によっても変化します
夜の田中{2x,2x,null
0, 0 ,2 }
これがペルソナかな
これは時間だけではなく、会話のゲームでも同じ配列に変化を加えます
対山崎の視座から見た田中配列 {2,2,3,
7,7,983x}
山崎から観測できた田中の配列は、不確実性がないように山崎は配列を組みたがります。なので不確実性要素がない完全言語に近づけたくなる。
しかし
カントールの対角線論法でもあるようにすべての人格を配列に網羅することは無矛盾性を帯びてしまいます。
内部表現が変化するにもかかわらず、我々は田中を同一人物として同一性を担保しています。これを単調性、単一性としていいます。
もっとも観測側の純粋知性に大きく依拠しますので、知らないことは観測できていません。
例えば子供からみた母親の内部表現は
さおり[母、母、母y
父の嫁、嫁、X]
であったりします。
でも
旦那からすると
さおり[嫁、旧姓、まだ携帯に旧姓で名前はいってる女
女、地元は87p,過去に5678x]
だったりします
合理的判断
パレートの残基は、人々の合理的選択は仕方なく選択された場合があり、本音は違っていたりする、みたいな感じです
これは会話をする際にどうしても合理的な選択をせざる負えないからです
プログラムでいうと完全言語にしなくてはよくわからない人になってしまうわけです。
こいつと何話したらいいのかよくわかんないな、ってやついませんか?
それは絶対に今現在の手持ちのカードでは選択できない非合理的クラスをもっているからで、それは本人ですらフロイトの無意識のように埋没していることもあります。
なぜなら社会生活を送るには、合理的判断によって非合理性を隠すしかないからです。