統合失調症の幻聴に関する考察05
とゆうことです。
幻聴という情報は、人工知能からすれば情報のひとつに過ぎません。人工知能におけるスクリプト理論やフレーム理論では、すべて情報のパターンにすぎず、過去のデータベースから参照した結果に過ぎません。これまでのファンクショナリズムとコネクニズムを統合したカールポラードのユニフィケーションまでの人工知能は、ほぼすべて自ら学習することはなく、人間が教えたデータを、それがデータだということを教えて初めて学習します。つまり、幻聴ももはやデータの一部に過ぎないわけです。
それでは疑問がありますが
それはこの地球上のすべてに疑問が発生します。
例えば、時間はどうやって認識しているのでしょうか。
時間を認識するには過去にたくさんやっている人々がいます。
指をパチンと鳴らす瞬間を刹那といったり、今この現在を認識しようと試みた人類がいましたが、無理でしょう。光の波を観測しようとすることに等しい不確定性原理です。
では、アインシュタインは時間こそ可変であり、不動のものではないと言いました。時間は私達が観測しているものです。
では、観測している側の私達に問題があるとすれば??
例えば、時間の認識の仕方として、ある情報を処理すると質量が増え重量と時間が発生するとすればどうでしょうか。
幻聴とはなにかを考える上で、
存在とはなにか
認識とはなにか
道具とはなにか
が重要になると書きましたが、
絶対条件ではないので、適当に読んでください。
私達が、脳で情報を処理する場合、1秒に世界のすべてを認識しているわけではないでしょう。これは前にも書きました。脳はほぼ過去の記憶の中で情報を処理しています。
つまり脳内の情報が多いほど、現在に生きている時空に存在しない可能性が存在確率が低いのです。
もし仮に1秒間に、その空間のすべて認識できる存在を認識して処理すれば、餓死するほどエネルギーが必要になるそうです。
つまり、情報を処理した分だけ時間が進むのです。
シブヤの女子高生「とんでもねえ(・・)
となれば、幻聴というのは、過去の記憶なのは濃厚でないでしょうか。そもそも、幻も現実も、観測者が正しく観測することはできない、かならず観測すればその観測したことでの影響が対象に及ぼされる不確定性原理が働くのです。
なおかつ、ミクロの量子では、観測すれば光の粒の量子であるが、観測しないときは波になっているのです。
これでは何が現実で幻か、人工知能は峻別することは不可能です。
人間は過去の記憶の処理を、寝ている間、夢を見ながら海馬で処理しているだろうと言われています。
その過去の記憶、つうかすべてが記憶だと考えるのです。
現実なんか存在しない。指をパチンと鳴らしている間が現在の現実の存在なんてそんな切ないことはないでしょう。
つまりすべてが情報として脳で処理されていると考えます。
すれば、人工知能にはない、人間の感情というものがキーワードになってきます。
人間の脳は、過去の失敗を記憶するようになっているそうです。
ですので、情動的に、過去の失敗の閾値が高いものをプライオリティにおいていると考えます。
戦争で仲間が殺されて死んだが、隣にいた自分は運良く生きている。そういう場合多いと思います。
何故自分だけが生きているのか。
そんな場合、仲間の情報が脳の情報空間でプライオリティが高くなるでしょう。
その仲間の存在は、過去の戦争において、失敗した事例として認識され、この時空において完全性がある閉じた項として宇宙に存在します。その時空の完全性は、あるひとつの項においては真実で完全性があるのです。
戦争で仲間が死に、代わりに自分が生きているでもいいのです。そうした認識をすれば、存在は生まれ、認識され、そして人生において道具連関の道具としての機能ファンクションを、引数か、関数かわからないですが、引数でしょう、道具は引数です。
そういうことっす(^^)