ラカン理論:精神障害と子育て:感情のインストール

ラカンはわからん。
そんなことをつぶさにつぶやきたくなるのである。

ジャック・ラカンことポストモダニズム代表のようなわからんラカンであるが
頑張ってみる。
頭がおかしい今、いけるはずだ。


赤ん坊が言語を覚えてくると、欲求(need)から母親へ要求(demad)に変わる。
ここに着目してみましょう!
欲求は、風呂めし寝る、などであったり、尿意を感じた時に母親に対する言語による伝達であるが
要求になると、言語ゲームになる。
母親に要求するのは、象徴界の父を知るためである。これがややこしい。
母親に色んな要求をするのである。
たとえば、口から炎を出してくれだとか
ハンバーガーを食べたいなどだ。
口から炎を出せないと言えば、実はこの要求によって感情が成熟し、不可能が宇宙に存在することを知り
母親から分離することになり、さらなる言語活動の高次レベル、欲望へと発展する。
フロイトエディプス・コンプレックスは、母親に対する欲望は母親と妹をめとり父親を殺すことであって・・・・云々。
しかし資本主義社会ではハンバーガーなら可能であるが、母親がイライラしていると、この要求は
保留されてしまう。
ハンバーガーごときの言語で、ストップしてしまう。
つまり最終的には、ハンバーガーひとつ食えないだけで、成熟しないまま成長し、
更には、ハンバーガーに対する欲望は、リピドーとして永遠に
帰納性がないままトラウマになるかどうかは

わかりません。要求と欲望は違うんだけどね。欲望は大文字の他者の欲望を欲望することが欲望なんですが。
ラカンはわからん!!つづく