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(BAD51%Comple)カフェ機能ってなんなん?国家にカフェって必要なん?元はなんなん

最低限家族機能 現実存在機能主義

これまで諸国民の富(持ち前の資産)はセブンイレブンに弁当を戦時中でも配送できるシステムつまりsequenceのことだと暴いてきた。そこでsequence内には道具の機能関数を配置しており、セブンイレブンならばセブンイレブン本体は市場機能として諸国民の富を貨幣で交換できる仕組みにしてある。

つまりセブンイレブンがなければ貨幣をもっていても諸国民の富を欲しくてももらえないということだ。これを手段の形式、欲求の体系とした。

我々は変数であり入れ替え可能であり、誰でもいい。それは最も諸国民の富を受ける時の場合においてだ。ヘーゲルが個体性・個別性を軽視した没神的なあれだとマルクスはめっぽう批判してあれしているらしいけど、よくしらない。

けだし、変数になるのは道具関数機能を主体とした場合においてだけで、私達の現実存在は、まあ結局、システムの一部なんだなってフーコーは言うね。

カフェはレストランと違って目的が違う。レストランは食事をする道具で、カフェに与えられた道具は、軽食などがあり喫茶もできる空間、、最終的に言語をつかった他者とのコミュニケーション行為を行える道具にしてある。

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たとえばこの場合、天敵がいない状況でなおかつ食事メインではない道具に意思を与えた場合、カフェになるんか。

とりあえずカフェはコミュニケーション的行為を行うところだ。それなら道端でもいいだろ。たまに落ち着かないカフェより缶コーヒー買って道端で話したほうが話しやすいときもあるだろ。それは結局そのカフェにカフェ機能としての意思がなく道具として果たして無いことだ。それはあれだ、カフェが半ば密室的になりサロン状態になっている他者とのコミュニケーション的行為の排除が目的のどっちかってゆうと家機能にあれしてるかもだな。

教会機能は言語での他者とのコミュニケーションを通じて原罪を和らげる共感によるあれだ、だからあれなんだ、ボーン・スリッピーのあの印象的なブレイクが鳴った時、人間はひとりであるし、ひとりではない、それをみんなで共有しているかのようだったと、DJの村さんが廃刊になったSNOOZER2003年9月号に書いていた。

めんどくさくなってきたので、教会機能は教会から細分化され分業されているのでいたるところに教会機能が配置されている。たとえばそれがボーン・スリッピーのあの印象的なブレイクが鳴った瞬間である。学校もそうである。ルネサンス以前は教会が学校と貧民救済をやっていたからだ、国家は福祉という形で貧民救済措置をしなくてはならなくなったが、そこには教会機能がないといけない気がする。

そして職業訓練をすることで、貧民救済のためwelqといった医療機関キュレーションメディアにより持ち前の資産をごっそりもっていくのだ。持ち前の資産は社会的資本、諸国民の富は限られているのだ。それは欲求の体系がその前にあるからで、欲求の体系が形式となり手段とならない限り、持ち前の資産にはならん、付加価値を生み出さないということになる。キュレーションメディアに人々は欲求しているのだろうか。いや別の欲求のために手段の手前、前菜としてweLQという医療機関キュレーションメディアを使ってしまっただけの話であって、なんのパレート最適になってない、ナッシュ均衡そのものだ。

 

だから国家が福祉でやるルネサンス時の教会が行った貧民救済措置は、ボーン・スリッピーのあの印象的なブレイクを流すだけでいいのだ。あとは最低限の文化的な生活ができる金額13万円日本YENがあればいいじゃん。

カフェ機能ってなんなん?